| 巻頭言57号 |
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測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
私は助言をくださった主をほめたたえる。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。
私はいつも、私の前に主をおいた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
(詩篇 16:6-9) |
| ハレルヤ!皆さん、お元気ですか。今、私はアムステルダム経由で、イスラエルに向かう飛行機の中です。多くの皆さんと共に、主の御手を確信したチア・サマーキャンプの喜びに続いて、主は映画「新Jesus」の制作準備をまた一歩進めてくれています。今年の総大成、家族・教会の一生の体験ともなる11月の白馬セミナーの準備も進んでいます。収穫の秋に向けて、皆様の上に、ますますの祝福を祈ります。 |
| チア・にっぽん代表 稲葉寛夫 |
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| 1.家族の回復への聖霊の力 - 神が選ばれた方法 |
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| 「父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。」(マラキ 4:6) |
| 神様は、チャーチ&ホームスクーリングの働きの上に、特別な御手を置き、力を注いでくださっているなー、と、感じます。「神の国」への行進は、進んでいます。私たちは、至らず、不十分でありますが、その弱さこそ力、ますます、主に委ねて進んでいくことを思います。 |
| 旧約聖書の最後の預言、「主の大いなる恐ろしい日が来る前に…父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる」によって明らかにされた、主が決められたことが、今、起こっています。今、チャーチ&ホームスクーリングの展開の中で、全国の心ある家族に起こり始めている「主にある家族の回復」、これは主が、特別に定めたことであり、恐ろしい日が来る前に、主が選んだ方法です。「主の大いなる恐ろしい日が来る前に、「預言者エリヤ」をあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。」(マラキ 4:6、 参照 ルカ1:17)預言者エリヤ、新約の時代・現代で言うなら、「聖霊なる主」が、確実に働いています。全国から340名も集まって、不思議な喜びに満たされた、チア・サマーキャンプの祝福の日々を終えて、その思いを改めて、強くしました。(8〜10ページに、参加してくれた皆さんの声の一部を掲載しています。ご覧ください。) |
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2.映画「新ジーザス」
:「Made For Heaven - 天国のために創られた」(仮題)
イスラエルロケハンへ |
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| エルサレムでは、映画「新ジーザス」の制作の準備を進めます。仮の題ですが、「Made For Heaven」(天国のために創られた)という、創造主なる神の愛、キリストに対して、反抗を重ねてきた人間が、どのような選択をすべきか、そして進む創造主の救いの計画…こうしたテーマに向かっての準備です。 |
| チャーチ&ホームスクーリング同様、世界宣教をめざした、この展開の上でも、主の御手を感じています。主の恵みの中で、プロデューサーの一人に導かれ、霊的な意味でも、チアの両輪ともなる、世界宣教に向けての働きとして、多くのチア・メンバーの皆さんに特別に祈ってもらっています。土台となる台本制作を中心に、進んできましたが、13版めを数える台本もハリウッドで「Aクラス」と評価される段階に到達し、でも、まだまだ、台本は磨く必要があり、大切な時期。さらにロケに向けての準備の第一弾として、今回のイスラエルのロケハンに至っています。ハリウッド映画の平均制作年数は8〜9年。今年で5年目を迎える「新ジーザス」。どうぞ、続けて、お祈りください。 |
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| 3.天国に向けて、子どもたちの成長を通しての励まし −「私も死ぬの?」 |
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| 映画以外にも、メディア関係の制作の仕事が与えられ続けてきたことも、このムーブメントの経済面の大きな支えとなってきました。ただ、時間的には、こうした仕事と、広がっていくチアの活動の関係で、ハリウッド(バーバンク市)の自宅に帰る日が、年々少なくなり、この1年は、10ヶ月あまりが、出張となりました。 |
| 13歳の真祈史や8歳のエミリとの失った時間は、地上では取り返すことはできないでしょうから、正直、躊躇もあります。でも現実のチアの経済を支えるために「働く必要」があり、また、自己の目的でなく、自分のいのちを犠牲にした「イエス様の模範」を見るときに、仕事をすることにも、御心を思い、進んできました。多くの皆さんや、スタッフ、特に、多くの時間、一人でがんばっている和紀子の理解と応援の中で、ここまで守られてきました。 |
| こうした中で、8月のキャンプ後、久々に3週間、自宅に戻れました。主は、約束に忠実なお方で、その3週間を通し、この小さき者にも、家族との喜びの時間を与えてくれ、「大丈夫だよ!」と語りかけてくださった気がします。 |
| 特にうれしかったことは、子どもたちの成長を見たことです。 |
| マリブのビーチに出かけた時、エミリ(8)は相変わらず、恐れることなく、私のチャレンジに応えて、高波に向って、勇敢にダイビングしました。一度、エミリとプールにも行きましたが、3メートルぐらいの深さのところで、恐れず、泳ぎ続けていて、驚きました。「(毎年7月に行く)クリスチャンキャンプ場のプールは、もっと深いんだよ。そこで泳いでたから、ぜんぜん、こわくないよ!」とのこと。 |
| そんなエミリと、「人生の優先順位は何か」と話す機会がありました。「いずれ、ダディ(私)は、死ぬよ。それまで、何のために、どう生きるかが大事。ただ、楽しく過ごして、みんなに尊敬されて、いい仕事みつけて、結婚して、子育てをして…死んだらそれはなくなるし、そのためだけに生きるのだったら、意味はないよ。でも、永遠に続く、天国には意味はある。チアの働きは、人間にとって最も大切な、天国に行くための手伝いをすることが、ミッション(使命)だよ。死ぬのは、ダディだけじゃないよ。エミリも死ぬよ。」「えっ、私も死ぬの?」「そうだよ。だから、一時的なことではなくて、大切なこと、天国に行った時のために、永遠の神様に向けて、今の時間の使い方を、考える必要あるんだよ…。」そんな、会話が許されて、とてもうれしかったです。 |
| 真祈史とエミリが、この夏参加したテニスキャンプを見学に行きました。真祈史の世代は、実力に応じて、3つに分けられ、真祈史は、真ん中ぐらいの仲間たちと練習していました。コーチがいない中での練習。「Makishi,Makishi」とずいぶん、他のアメリカ人たちから慕われて、リーダーのような存在でやっているではありませんか。真祈史は、日ごろ、控えめで、でしゃばらず、でも平安にしているタイプです。リーダーっぽく動いている姿は見たことがなかったので、「成長したなー」と思いました。 |
| そしてうれしかったことは、真祈史が「キリストの似姿にー聖書7」をどんどん、一人で行ってることでした。もう3分の2ぐらい、終わったようです。一日置きぐらいに、一緒に行いましたが、子どもに、聖書の学びを授けることができるなんて、これ以上の深い喜びは、なかなか、ありません。これは、本当に素晴らしいです。まだの方は、最初は、1ヶ月に1度でもいいから、ぜひ、行われたらと、心から思いました。最初は子どもさんがのってこなくても、親が本気であれば、決して、むだになりません。必ず、子どもの魂に、皆さんからのメッセージが、届いています。主のみことばという、最も大切なメッセージが。 |
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| 4.神を愛する者たちの選択 − ダビデ王編 |
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| この夏、この聖書7や聖書10を真祈史と学ぶなかで、親である私の方が、ダビデ王の信仰の選択について記した箇所から、学びを得ることがありました。素晴らしい信仰の勇士、失敗、あるいは許された試練による深い苦しみ、そして得た秘訣です。 |
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| 4−1.許される苦難、その果てに |
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| 信仰の勇者、ダビデ王は、油注がれし王であり、奇蹟の勝利の連続でした。その反面、不条理の苦難と本人の失敗と悔い改めも繰り返します。ダビデ王は、サウル王を恐れ、うそをついて、ペリシテの王の下に身を寄せ、結果的に、同胞との戦争に向かいかけたり、命がけでついてきた自分の腹心の部下たちに殺されそうになります。主の守りのなかで、ダビデは王となりますが、バテシェバとの不倫、ウリヤの殺害、そして、三男アブシャロムに追われます。ダビデ王は、苦難の背後にある主の御手を見て、正しく行動しました。 |
目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。いっさいのことを愛をもって行いなさい。 (1コリント16:13、14)
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| 4−2.失敗の実:攻撃、考えられない非難の現実、その時 |
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| 失望の中に、エルサレムを退去する途中、サウルの一族 シムイに のろわれます。(第2サムエル16:6) |
| 怒る部下に対して、ダビデは、全てのことに主の御手を見続けます。聖書はいいます。 |
ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん主は私の心をご覧になり、主はきょうの彼ののろいに代えて、私に幸せを報いてくださるだろう。」 (11,12)
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| 5.どのように批判を受け止めるか |
| 5−1.聞く (素早く反応しない) |
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| ダビデ王は、侮辱に対して、素早く、反応しませんでした。 |
「彼がのろうのは、主が彼に、「ダビデをのろえ」と言われたからだ。だれが彼に、「お前はどうしてこういうことをするのだ。」と言えようか。」(10)
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| 5−2.自分を吟味 |
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| 自分を吟味しました。 |
| 「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。(11)」 |
| 「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。(伝道者の書 7:14)」 |
| 「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらに増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも、取り上げられてしまいます。」(マルコ 4:24,25) |
| あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。(コロサイ 4:6) |
さばいてはいけません。さばかれないためです(マタイ 7:1)
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| 5−3.正しく行動する |
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| ダビデ王は、背後にある主の御手を見て、正しく行動しました。 |
| あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか(ヤコブ 2:20) |
目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。いっさいのことを愛をもって行いなさい。(1コリント 16:13、14)
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| 6.神の似姿へのプロセス |
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− 自分自身に頼らず、、、
神により頼む者となるためでした |
| 私たち、主に従おうとする、チャーチ&ホームスクーラーの歩みにも、迫害や圧迫もあるでしょう。自分の蒔いたまちがいの種で刈り取っているマイナスの実もあれば、あるいは、全くの不条理なこともあるでしょう。いずれにせよ、苦い出来事が起こったとき、どのような姿勢を取るべきか、選択が問われていることを、強く思います。天国のために創られた私たちは、どのような道を選んでいくべきでしょうか。 |
| 不条理な苦難の中で、死と向き合い続けた使徒パウロは、やはり、その背後にある主の御手と、目的を見出します。 |
「自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや、自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。(2コリント 1:9)」
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| 7.神を愛する者たちの選択 − いつも私の前に主をおいた(詩篇 16:8) |
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| ダビデ王もまた、主を見続ける、天国への道を選びます。主の怒りがもたらされる裁かれる道ではありませんでした。そして、主の「測り綱」(領土を計測する綱、すなわち主の恵み)が、伴っていく道は、素晴らしい結果をもたらします。 |
「測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずり地のだ。
私は助言をくださった主をほめたたえる。
まことに、夜になると、私の心が私に教える。
私はいつも、私の前に主をおいた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。(詩篇 16:6−9) |
| われ等の歩む先には、天国という希望が待っています。 |
| チャーチ&ホームスクーリングの道は、楽しいことばかりではないでしょう。でも、苦難の背後に、それをも通して、「天国に向かって」、「主の似姿に変えられていく」という主の私たちへの訓練の目的があります。「主の弟子」として「福音」の力と恵みを携えて歩む者として、何があっても、背後の主の目的を思い、目の前に、主を置き続けていく、その選択の勝利を心に深く刻む必要を覚えます。もちろん、自分には、それを全うし続ける力はありません。でも、ダビデやパウロのごとく、主に一層、より頼んで歩む、その姿勢を明確にし、祈り、聖霊に一歩、一歩従っていくことから始められます。ちょっとやそっとの苦難に負けないように、主の道を選んだときの喜びや祝福と実を、この夏、さらに体験させてくださったという気がします。 |
| 今、私が乗っている飛行機の目的地、アムステルダム空港が近づいてきました。この後、乗り換えて、聖地イスラエル・テルアビブ空港へと向かいます。 |
チャーチ&ホームスクーリング、秋の陣。白馬セミナーをはじめ、この収穫の秋、天国に向かうために用意された、聖霊と力に満ちた、素晴らしい企画が用意されています。福音を授けられた者として、主を愛する者として、よき選択を続けていこうではありませんか。
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聖地、イスラエルにて、皆様への祝福を心から祈ります。
感謝しつつ
稲葉 寛夫
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