弟子訓練への招待

チアにっぽんコンベンション2003主講師 
メアリー・スコフィールド


 神さまの教育プラン

 神さまは「親」に、「子どもたちを神さまの栄光のために弟子訓練する責任」という使命を与えられました。誰か他人の権威のもとに子どもを委ねるのではなく、自分で責任をもって子どもを教えるということです。
 皆さんは、まず、どんな教科を、いつ勉強するのか、どんな教材を使うのかということを決めます。また子どもたちが、何時に起床し、勉強を何時から始めるかも決めます。そして最終的には、子どもがいつ卒業するか、ということについても決めるのです。無意識のうちに皆さんは、子どもが公立学校のカリキュラムや、一定の大学入学合格のための必修科目を終えたら卒業、というふうに思っているかもしれません。
 残念ながらこのような教育プランでは、子どもたちは、単に毎日、いわゆる教科の勉強をし、一定の時間が終わったら「解放される」と思ってしまいます。
 チャーチ&ホームスクーリングの教育者として、私たち親は子どもの教育に、もっと多くを望んでいるのです。私たちは子どもたちに、高校を卒業したら、家庭を治め、生活費を稼ぎ、税金をいくら支払うか計算できるようにさせるだけではありません。最も重要なことは、人生を通してキリストに従うことができるよう備えさせることです。それが、生涯を通して教える、主にある弟子訓練なのです。

 

 生涯を通してキリストに従う人へと

 多くの親がよくもつ疑問は、同時に教会への出席や家庭でのデボーション、家の手伝いをさせれば、子どもたちは整えられて、生涯を通してキリストに従っていく人へと成長していくだろうか、というものです。私たちはそれでいいと考えたいのです。
 しかし、学習の計画を立てるため、教材を購入したり、教師用マニュアルを勉強したり、授業プランを立てたり、教えたり、課題を評価したり…といったことに費やす時間と、子どもを弟子化するために費やす時間を比較してみることは、興味深いことです。

 弟子訓練において、私たちは1週間に1度か2度、教会に出席し、出来合いのバイブルスタディコースを終了し、心に残るお話があった時はそれについて話し合ったりすれば十分だと願うものです。子どもが家族と一緒に暮らしている間に、家事を分担し、兄弟姉妹に良く接することを学び、他にもいろいろなことを通して、いずれは敬虔な大人になるだろうと信じているのです。
 

 学習計画の逆転を

  しかし、私は教育の時間の割り当てを逆にする必要を提案します。
 それは、まず弟子訓練についてどうすべきかについて決めるということです。
 第一に、子どもの霊的な成長のために祈る時間をとります。そして、キリストの似姿へと成長できるように子どもを整えていくための特別な学びを求める必要があります。
 代数の方程式を教えるために時間を費やすように、子どもの人格の成長のために、出来る限りの時間を充てるよう計画を練る必要があります。それは、子どもたちにクリスチャンとしてどのように生きていくべきかを教えるための課題を与えるといったことも意味しています。
 もし、クリスチャンとしての人格的な学びが、単に問題、例えばある人格上の欠如や、日常のなかの失敗、喧嘩やトラブルが起こった時だけだとしたら、そのような時間は、通常の教科学習の妨げのような気がするかもしれません。しかし、聖書のみことばに従って判断する人格を培う時間を、そのように扱うべきではないのです。

 具体的な取り組み 

 一般的な教科の計画をする以前に、両親は子どもの霊的な弱さに対してどう取り組むべきか、祈る必要があります。子どもたちが悪い習慣を身につけたり、崩すことが出来ない壁を親との間に築いてしまう前に教える必要があるのです。
 例えば子どもが、「神さまの祝福を当然のものとして受けとめている」ことが見られた場合、両親はその1年を通して、「感謝を学ぶ」ということに焦点をおくでしょう。「他の人々に与える」こと、そして「神さまからの数々の祝福を数える」ということも、カリキュラムに組み入れることが出来るでしょう。その年には路傍伝道を計画したり、家族で宣教旅行をするというようなことも、「犠牲を伴って与える」ということを子どもに教えるための良いアイディアでしょう。
 またそうではなくて、子どもがすぐかっとなったり、すねた態度をとるといった面で、成長の過程にあるというようなことがあるかもしれません。そのことについて心配したり、また、受け身の態度で最善を望むよりも、まず両親はその問題について祈り、そのための教材や課題を、子どもの通常の学校のレッスンのなかに組み入れるようお勧めします。もし、そのような怒りの感情や口論について学ぶよう、意図的に時間を費やさなければ、その子どもは、そういう面での成長した人格を身につけて卒業することはできないでしょう。
 

 最初の実

 学業における課程のリストから始めて、その後で祈りと聖書の学びを付け加えるというのは順序が逆なのです。神さまは私たちの「最初の実」を望んでおられるのであり、教育の計画においても「最初の実」が重要であると考えます。私たちは年の始めに、子どもが何を学ぶべきかということについて、あらかじめ考えをもたずに、主の前に謙遜に祈り求めるべきです。
 このプランニングにおける最善の方法は、みこころを忠実にとらえられるように、両親ともに真剣に祈ることです。子どもも交えて、主の導きを求めたいと思うかもしれません。それは、それぞれの家庭の導かれている方向でいいと思うのです。
 祈りの時にはメモをとり、必要と願いを分かち合うための時を引き続いて持ってください。そしてそのメモから、それぞれの子どもにカリキュラムを立て始めることができるのです。そして神さまに示されている分野において子どもを訓練する上で、更に主があなたを導いてくださるように祈るのです。

 
リスト化してみる

 もしあなたが、やるべきことを記したリストがないと落ち着かないタイプの人であった場合、あなたが扱いたいと思っている項目を書き留めることも、助けとなるでしょう。例えばあなたが今年やるべき最も大切なことは、あなたの子どもと信仰を分かち合うということだったとします。その場合、あなたの項目リストはこのようになるでしょう。

(1)証を分かち合う。
(2)救いのご計画について記されている聖書箇所の暗記。
(3)その学期を通して祈る人を選ぶこと。
(4)失われた人々に愛をしめすいろいろな方法について学ぶ。 
(5)証しをするための、さまざまな表現の方法を学ぶ。

 次に、その項目の助けとなる教材で、あなたが持っているもののリストを作ります。すでにあなたは数冊の伝道の本や、伝道者の本を持っているかもしれません。またはあなたの牧師や、クリスチャン書店でアドバイスを求める必要があるかもしれません。
 最後に、それぞれのトピックに焦点をあてた、人格訓練や課題のリストを作ってください。例えば(1)の証を分かち合う、という課題について、計画として、少なくとも1ヶ月に一人は夕食に招き、家族とともに個人的な証しを分かち合う。または、個人的な証しについて伝えるエッセイを書く、集会に参加して、証しを聞く。個人またはグループに、証しをする場をもつことを計画する…等。
 そのようにして作成したあなたの本、課題、計画のリストは、あなた自身の独自の弟子訓練コースの骨組みとなるのです。

 卒業の収穫

 高度な教育を授け、若者たちが敬虔な大人となるように整えるということは、確かに大きな挑戦です。
 けれども、神さまの方法をまず第一に求めて、祈る時間をとり、子どもたちひとりひとりの必要や、各々の成長を評価し、その上ではっきりとした目標をもって献身的に教えるならば、両親は確信をもって子どもたちの卒業を楽しみにすることができるのです。
 その祝福は、ただ単に子どもたちが、神さまに与えられた人生を求め生きていくだけにとどまりません。それは、両親自らも、子どもたちを弟子化し訓練するという神さまの召命に、従い続けたということの証しとなるのです。 ◇