めざせ!最も優れた教育者への道 
アーデル・ジャコート
ノースランドバプテスト大学教育学部名誉学部長

創世記1章でスタート
 私は、1951年にあるクリスチャンスクールで教え始めました。9人の生徒でスタートしました。それは決して、クリスチャンスクールのスタートすべき方法ではありません。幼稚園からはじめて、学年を上げていくのが、良い方法です。ただその時、私たちにそれ以上の事は分かりませんでした。クリスチャンの教科書も当時はありません。一般の教科書を使わなければなりませんでした。歴史を教え始めた時、第一章の一番最初にあったのが、進化論でした。私は生徒たちに、この一章は飛ばしますと、そのかわりに、聖書創世記1章でスタートします、と言いました。
 その学校は大変小さかったのですが、私たちはベストを尽くして聖書に従いました。毎日礼拝の時間を設け、数学であろうと、科学、歴史、地理、全ての科目に聖書を取り入れました。2年目に結婚して、妻も一緒に教えるようになり、生徒は33名になりました。そして私は大学院に行きました。その後、その学校は1000人以上の学校に発展しました。ただ問題は一つ、聖書から離れてしまったのです。ですから皆さんに忠告したいのです。聖書でスタートしただけでは十分ではありません、聖書のもとに継続しなければなりません。聖書を基盤として科目をスタートしても、時がたつにつれて起こるのは、成績の方がもっと大事になってしまうという傾向です。
 大学院を終わってから妻と私はマイアミのクリスチャンスクールで教えました。はじめはこちらも聖書に基づいた教育を行っておりました、そして若い人たちに主に従いクリスチャンの仕事に入っていくように常に励ましておりました。しかし、またしても成績の方が聖書より大事になってしまったのです。
 それで、私はその学校を離れ、別のクリスチャンスクールに行きました。その学校は大変基準が高く、常に聖書から子どもたちに教えました。そして大変信仰的に強い学校でした。そこで6年間教えた後、私は大学で教えるため転任しました。残念ながら、この3番目の学校も聖書から離れ、そして以前持っていた基準が前ほど強くなくなり、その証も強くありませんでした。
 皆さんは今始まったばかりです。それは大変すばらしい事です。たくさんの神様の祝福が来ます。そして皆さんは全て出来なくちゃならない、ということはありません。ただ聖書にもとづいて自分のベストを尽くしていけば、神様はあなたを祝福します。見て下さい、最初の教会は12人でスタートしました。そして、どんどん伸びていきました。神様の言葉に深く根をおろして、基準を高く保つということは、大変大事な事です。 

エクセレンス

 エクセレンス、この言葉は、何事においても主の助けにより自分のベストを尽くす、という意味です。これは、聖霊によってのみ出来ることです。ピリピ人への手紙4章8節「最後に、兄弟たち、すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いことを、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。」
 神様の言葉は、全てにおいてベストを尽くすべきだと私たちに教えています。私たちは、わが主イエス・キリストの中において大変素晴らしい模範をいただいています。イエス様は、全ての事において、聖霊の力によって最高のものを出しました。イエス様のように神様に従った人は他にいません。イエス様のように人を愛した人はいませんね。私たちも人を愛する事に努めますがイエス様のように人を愛する事はできません。
 100%神様でありました。けれども完全に謙遜な立場を取って、人間になって私たちのところに降りてこられました。素晴らしい模範です。教えにおいても、宣教においても、従順においても、忠実においても、そして、いろんな方々との関わりにおいても。この全ての模範を聖書の中から見出すことができます。
 ですから、私たちはクリスチャンとして、毎日聖書を読むべきです。私たちは自分の体を健康なものに保つために、この体のための食べ物はきちんと摂ります。私たちは自分の霊的な面を健康にするために、神様の言葉をいつも読むべきなのです。もし何日も神様の言葉を読まないで過ごせば、あなたは信仰的に健康ではありません。私もそうです。神様の言葉を読み、イエス様を模範として、神様の言葉に学ぶ、特にあなたがホームスクーリングかチャーチスクールを持とうとしているなら、毎日聖書を読んで基準を高く保つ事は非常に重要です。

 私の子供が成長している段階ではホームスクーリングは、まだなかったのです。私たちの子供4人ともチャーチスクールに送りました。私の3人の娘はクリスチャンスクールの先生になり、息子はノースカロライナ州で牧師をやっています。クリスチャンスクールに子どもを送るのは大変お金がかかりました。私たちは、新しい車、冷蔵庫、いろいろな電気製品をどんどん買うことも出来たはずです。でも子どもたちに投資する事は、永遠というものに投資する事だ、と私たちは思いました。
 どのようにして私たちはエクセレンスを身につけるのでしょう。まずピリピ人への手紙2章5節です。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」イエス様の考えを持つ事は、エクセレンスを身につけることです。次はヨハネによる福音書12章26節「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。私がいるところに、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」仕えること、ついて行くこと、従うことです。
 ペテロ第一の手紙2章21節「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」キリストは私たちの模範です。見習う、ということですね。伝道者の書9章10節「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知恵も知識もないからだ。」持っているすべてを投じ込んでベストを尽くす、ということです。それがイエス様ですね。

 3つのポイント

 私たちは、自分が思うところの人間です。箴言23章7節、「彼は、心のうちでは勘定ずくだから。あなたに『食え、飲め。』と言っても、その心はあなたとともにない。」原典では、全く今言った通り、人はその思うところの人間である、という聖句です。私たちが焦点を置く所が、私たちの考えをコントロールするからです。そして何を考えるかで、感情が定まってきます。感情から行動が生じます。行動は私たちの姿そのものです。ですから、私たちの焦点がきちっと神様に定まっていれば、私たちの考えはそれに影響され、私たちの行動も変わってきます。
 2番目に、私たちは、自分の心に思うことだけでなく、焦点を置くものに影響されます。
 私が大学にいたときに、耳のない、実際に外耳のない生徒が一人いました。州の方でプラスチック製の義耳を作ってくれ、一見見ただけでは分かりませんでした。でも彼はその耳をすごく気にし、常にその事ばかり考えておりました。ある時彼は、耳をわざと逆につけて教室に入ったりしました。彼は耳の事ばかり考えて自分の格好の事は考えていませんでした。その耳すら、きちんと着けておく事が出来なかったのです。私たちは自分の焦点が正しく向いている事、正しくキリストに向いている事を確認する必要があります。
 マタイによる福音書6章20-21節には次のように書いてあります。「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」
 あなたの宝、つまりあなたが何に焦点を絞るか、そこにあなたの心もあるのです。もしこの世界のことに目を向けるのであれば、心はそこにあるのです。もし神様に目を向けるのであれば、心はそこにあるのです。
 私たちが自分の人生において何に心を向けるかによって、私たちがどういう人間であるかが定まってきます。もし私たちが神様に焦点を絞っているのなら、私たちの心は神様と共にあり、神様の言葉を愛し、神様の言葉を読む事を喜び、それを人と分かち合う事を喜びます。私たちの焦点が正しい時、問題などは、神様が正しく適切に対処できるように力づけてくれます。時には私たちはやりかたを変えますが、考えは変えません。私たちの考えを変えるのは、神様の言葉だけなのです。

優れた教育者の責任

 第3に私たちは、その焦点を絞る事をコントロールする事が出来ます。私たちの全ての思いはキリストに対する従順にあるべきです。
 ではここで、優れた教育者の担うべき責任について触れてみたいと思います。まずは、優れた教育者は、自分が教えている事を信じきっています。確信と権威をもって語ります。そして自分が教えている若い人たちをコントロールしていく事が出来ます。優れた教育者は、神様が自分をその場所に召したんだという事を知っている人です。神様は、若い人たちにいくつかの事を教えるためにその場に自分を置いているんだ、という事を自覚しています。
 では皆さんに質問したいんですが、あなたが自分の家、あるいはチャーチスクールでどのような事を教えたいですか、「イエス様。」大変大事です。「人格。」その通り。
 公立というか、この世の学校では、人格というものを教えていません。
 イエス様のこと、神様の事を教えたい。そして人間性を教えたい。他にありますか「神の愛について教えたい。」良いですね。それも公立学校では得られません。では、教科の内容はどうですか。もちろん、例えば数学、地理、歴史、でもそれも、聖書を土台にしたものであるべきです。一つの生き方、っていうものも教えますが、これも神様から出たものです。
 ではまず、先生であることについてちょっと触れさせてください。先生になるためには、天才、昔オール5だったというだったという、そういう先生でなくてはならない、ということはありません。あなたは勉強し、神様が聖書の言葉を使ってあなたを通して働く事を許さなければなりません。あなたはオール5の方ではないかもしれませんけれども、神様は必ずあなたを祝福します。私も苦手がありました。特に文法は全然だめだったのです。でもひたすら努力し続けて頑張っていったところ、今は文法というものが大好きです。私はそれを高校でも大学でも教えた経験があります。
 ですから、あなたの弱いところ、得意としない分野で心配しないで下さい、ただ神様に頼って頑張ってください、神様は必ず祝福します。また、
 もう一つ優れた先生の持つべき要因は情熱です。情熱をもって教えなければなりません。(講演台に頬杖をついて退屈そうに)「みなさーん、きょうはれきしのべんきょうでーす」と言ってクラスを始める事があってはいけませんね。「わたしはたいへんこのきょうかがすきでーす」熱心ではありませんね。表情に表してください。そして身体表現。そして自分の教えている内容を熟知してください。
 3番目に、バラエティに富んだ様々な教材を作り上げていってください。最初の頃は教科書からそんなに離れない内容で教えていくでしょう。でも時間がたつにつれて、教科書以外の、いろんなものが見つかってくるかと思います。
 一つに、グループに分けての話し合いというものは大変良いものです。ビデオ、補充プリント、実演とか、いろいろな物語、地図など、どんどん使っていってください。具体的には、例えば聖書からの引用や例え話ですね、これは大変良いです。旧約聖書には、人格とか人間性についてのいろんな良い例があります。

 生徒の担うべき責任

 生徒の担うべき責任にはどんな事があるでしょう。まずは、子どもが従順に従う、という事を求めるべきです。かなり前の話になりますが、子供が言う事を聞かなければ、お尻を叩きました。私はそれをする事を決して楽しくは思いませんでした。でもやらなくちゃならない時がありました。
 問題は、お尻を叩いた子供が、みんなどんどん大人になっていくわけです。私はある時、ショッピングプラザにいました。ペットショップの窓から中を眺めておりました。「ジャコート先生」という声を聞き、振り返って、すごく背の高い人の顔を見上げました。「あなたはジャコート先生でしょ」、「はい、そうです」、「あなたは、私が中学2年のときの担任でした」一つだけ、私の頭に浮かびました。私は彼に聞きました。「私はあなたのお尻を叩いた事がありましたっけ。」彼は言いました、「はい、ありました。」私は彼の腰の周りに腕を巻いて、「ごめんなさい!」彼は私服の警官だったんです。「私のジョークをおかしいと思ってくれました?」「ええ。」それでほっとしました。そうじゃなきゃ今日ここにいなかったかも知れない(笑)。
 子どもたちが自分のベストを尽くす事を私たちは求めなければなりません。やる事をきちっと丁寧にやる事、時間厳守、権威に服従する事、そして働くというということに対する感覚をきちっと持つ、そしてあなたがその子どもたちに人格的なことを教えようとしている時に、向こうから反応してきてくれる事を求めてください。
 ルカによる福音書16章10-12節「小さい事に忠実な人は大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は大きい事にも不忠実です。ですからあなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。またあなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。」あなたがもしチャーチスクール、ホームスクールの小さい事に忠実であれば、神様はもっと大きい事もあなたに任せます。あなたの態度が、その可能性を開けます。あなたが主の前にどういう態度をもつかは非常に大切です。

ベストを尽くす

 ある時Kマートというスーパーマーケットで買い物をしました。買ったあとに若い女性の店員が「Kマートで買い物をしてくれて有り難うございます。」と言いました。私は「あなたは今いった事を本気で言っているんですか。」と、聞きました。彼女は言いました「何?」、私は言いました「あなたが丁度今言った事。」、「私何て言いましたっけ。」「あなたは、Kマートで買い物をしてくれて有り難うございます、って言ったんじゃなかったですか。」彼女は言いました。「私、そう言うように決められてるから言っただけです。」
 これは決して正しい態度ではありません。
 モラルを高めていってください。愚痴をこぼしたり、不平を言ったりしてはいけません。あまり目立たないちょっとした事でも、進んで行うようにしてください。とにかく、ベストを尽くすという事を忘れないで下さい。ただそれだけではだめで、必ず結果を出さなければならない、ということも忘れてはいけません。神様のために優れたものになるように、と努めてください。
 エクセレンスは、何かの魔法の方程式によって突然現れてくるものではありません。常識、その事柄に関する知識、判断力、ひたすら頑張る、という事の組み合わせです。一生懸命頑張りぬこう、という態度で働かない人たちは、エクセレンスを求めていません。平凡な、ただ並大抵に基準を降ろしてしまっています。資質というものは、決して偶然に与えられるものではありません。それは、目的を達成しようとする高い意識、真剣な努力、正しい方向付け、それをまた上手に実践していく、という結果から出るものです。
 では、あなた自身はどうでしょうか。あなたはキリストのために優れたものを求める、つまり神様のためにイエス様のために優れたものになろうとしているのでしょうか。私たちが、自分のベスト以下のもので満足すれば、これは罪です。イエス様のために、子どものためにも、あなたの国のためにも、あなたを励ましたいです。頑張って、強いホームスクール、そしてチャーチスクールを築き上げていく事を願います。神様はあなたを祝福し、あなたは後悔しません。■