教育をめぐる我が家の試行錯誤  

鈴木 和廣

  

悔い改め そして決心

 

 当時、高校生になった息子に「それは罪である」と強く迫ったところ、息子は涙ながら、「親父の生き方は正しいと思う。でも、自分は親父のような生き方は出来ない。すれば、孤独になるかいじめにあうか。(彼は実際にいじめにあっていました。)仲間と一緒に遊んでもすぐこうして、ストップがかかる。俺はいつも引き裂かれてずーっと苦しんできたんだ。真剣に自殺を考えたこともあった。俺はもうイヤダ!」

 私はこんなに苦しんでいる息子を見てショックでした。私達は、充分訓練されていない弱い子供をただ一人でこの世に送り出して、影響を受けるな!影響を与える者となれ!がんばれ!と言ってきたんだと思い知りました。

 娘もいろいろ苦しいところを通りました。小学6年の時、マーチングバンドに入っていましたが、日曜礼拝に出席する為練習を休んだところ(顧問から許可を得ていましたが)翌日、友達から完全無視され、毎晩夜中の2時ごろになると、泣きながら私たちの枕もとにボーッと立っていました。その頃はホームスクールという考え方も知らず、私たちは娘の胸のポケットに御言葉を書いた紙を入れてやり、祈って励まして毎日学校に送り出しました。これは卒業を以って、その苦しみから解放されるまで続きました。それ以来、彼女は友達を恐れるようになりこの世と調子を合わせるようになりました。やがて彼女は「変なのは皆じゃなくて、うちの親だ!」と言って私達を悲しませました。

 

験を物差しにする恐ろしさ

 

 私たちは、「自分たちがちゃんと信仰を継承したんだからきっと子供も大丈夫!」という物差しを持っていました。あるいは、堕落を経験した後、救われた!という華々しい証しを持っている方などは、「みんな、こんなところを通るものなんですよ!いや、ここを通ってこそ味のある人間ができるってものだ。」という物差しを持っておられるかもしれません。

 しかし、聖書は言っております。「心を尽くして主により頼め、自分の悟りに頼るな。」「自分を知恵のある者と思うな。主を恐れ、悪から離れよ」(箴言3:5,7)私たちは自分の経験を物差しにしてきたことを深く悔い改めました。こんな時、チャーチ&ホームスクールの記事を目にしたのです。これは一体何だろう?早速資料をとりよせて読んだり、セミナーに出席したり、実行している方々を訪ねたりして学びました。そして、私たち夫婦は、頭をハンマーで殴られたような、目からうろこが落ちるような感じを受けました。

 

常識の怖さ

 

 子供が幼稚園や保育園を卒業したら、ランドセルしょって小学校に通わせる。誰もが疑わずに義務教育だから、教育の主権は学校にある、国にある、と思い込んでいたのです。御言葉によると、教育の主権は親にあるのであって、学校や国にあるのではないことが分かります。あくまでも、責任者は親であり、どんなに良い学校だからといっても、他人任せにすることは神の命令への不従順だったのです。聖書には「主は私たちの神、ただひとりである。心を尽くし神を尽くし力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。これをあなたのこどもたちによく教え込みなさい。あなたが家に座っているときにも、道を歩くときも、寝るときも、これを唱えなさい。」(申命記:4〜7)とあります。私たち夫婦は心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、神、主を愛するように励んできました。しかし、この御言葉の後半「これをあなたの子供たちによく教え込みなさい」には、不従順であったと深く悔い改めました。時間的にも、内容的にも、「子供たちにちょこっと教えてきました。」と言わざるを得なかったからです。

 

認識の甘さ

 

 イエス様が弟子をこの世に遣わされた時、「わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなものです。」(ルカ10:3)と言われました。その昔の人々はどう考えても今の時代より道徳も乱れておらず、便利さや贅沢からも程遠い、純朴な人々だったのではないでしょうか。それを狼とは!いいえ、イエス様は「この世は悪魔の支配下にあり、そこに生きる人間は、悪魔の影響下にあるのだ。その真っ只中にわたしはあなたがたを遣わすのだ。」と言っておられるのです。

 公立学校の先生の中にはまじめで、一生懸命な方もおられ、感謝しています。しかし日本の公立の学校は、神を排除し、創造論など考える余地もなく、人間中心主義ヒューマニズムに基づいています。その上、今は終末の時代で悪魔は必死になって大暴れしており、道徳の低下は想像を絶するものがあります。今こそ、クリスチャンは時代を見抜く目を持つべきでしょう。

 私たちには3番目の子供が与えられました。現在5才です。この子の教育を考えた時、私達は熱心に祈って戦う親となろうと決心しました。そして、主の教育と訓戒によってホームスクールで教育していこうと決心しました。ところが心配も残っていました。社会性は育つかと言うことでした。しかし、神に祈った時、主は答えを下さいました。5人の子供をホームスクールで育てている宣教師家庭を訪ねた時のことです。16才、18才の子供たちがそれはとても自然に、私たちおじさん、おばさんと接してくれました。私たちの知っている青少年は、大人と喋れないことが多いのです。これは一体どうしたことか?宣教師が言われました。「学校で育つ子は、同年代の子供とだけ関わって長年生きているから、仲間以外とどう付き合ったらよいのかわからないのです。」またまた頭をガーンと殴られた感じでした。子供同士で育つ社会性は部分的なものです。むしろ、さまざまな年代と広く関わる中でこそ真の社会性が身につくのではないでしょうか。

 親は本当に欲張りだと思います。信仰も学力も友人も技能も体力もあれこれと子供に最高のものを与えようとしても、教育の目的を見失うならば心配は尽きないと思います。主を愛し、主に従うキリストの弟子を育てる為に私たちに命じられていることに従おうと決心しています。5才の子供は現在、週1日ホームスクール、来年から全日ホームスクールの予定です。青年になった上二人の子供の信仰が明確で熱くなるように、毎週親たちが集まり、心を合わせてとりなしの祈りをしてまいりました。神様は確かに子供たちを一歩一歩導いてくださっています。ハレルヤ!■

 

 
 

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