180度の大転換。遠藤家の出エジプト記  

遠藤 禎子 

 

 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 詩篇103篇2節

 昨日は長男の小学校の卒業式でした。昨年一昨年とPTAの役員として来賓席に座っていたことを思い、感慨深くなりました。心から「ああ、良かった!」と。主がこのように、この世から導き出してくださったことへの感謝と喜びでいっぱいでした。

 

一体自分は何をしているのか?

 

 チア・にっぽんの発足コンベンションは、学ぶことの多い、心湧きあがる集会でした。しかし、我が家の子どもたちは元気に学校に通っていると思っていたので、とうぶん問題はないように思われました。もし不登校になるようなことでもあればそのときに考えよう、くらいの意識でした。

 その頃の私はPTA活動に没頭し、超多忙な毎日。クリスチャンとして神様から社会に遣わされているという使命感があったのです。

 しかし、いつのまにか時間に押し流され、仕事の量も増え、責任も重くなっていきました。そのような中で、次第に疲れと、限界を感じてきたのです。対外的には、広報紙コンクールで足立区「最優秀賞」、都で「奨励賞」と高い評価を獲得していました。しかし、喜びが無いのです。高い評価もまるでひと事なのです。

 そんな中、すがるような思いで参加した第二回チア・コンベンション、神様は吉井先生の奥様、横田先生、篠原先生をはじめ、いろいろな方との出会いを与えて下さいました。横田家、篠原家は4月からホームスクーリングをスタートされました。そこには主の招きへの忠実な聞き従いの姿があったのです。

 我が家はといえば、すっかり、「学校」と言うシステムになじんでしまっていました。もちろん子供たちは幼い頃から聖書を教えられ、信仰はもっていました。家庭礼拝、聖書通読、メッセージ…。しかしそれだけでは追いつけないという危機感がありました。このまま中高生となり、親の手を離れていったときクリスチャンとしての自己を確立することは難しく思えたのです。指の間から砂が流れ落ちるように、子供を失ってしまうのではと心痛めました。

 牧師の家庭だからといって、自動的に強い信仰が与えられるわけではないのです。教会の3階に住み、日曜日には家の半分は教会の公けのスペースとして解放され、人の出入りも多い。「こうあらねば」「牧師の子どもらしく」親にも子どもにもそんなプレッシャーがつきまといます。どうかすれば、他の子どもと一緒にいても、自分の子どもにだけ厳しく接しがちです。そのような中、教会内での長男の反抗的な態度が、目に付くようになりました。

 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神をつくし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。申命記6:4〜7

 

 ダグフィリップ先生のメッセージに心刺される思いがしました。たとえ人が全世界を得ても、教会が大きく成長したとしても、自分の子どもたちを失ったら何になるのか…。強い危機感とともに、立ち止まり、振り返る時が与えられたのです。

 我が家にもホームスクーリングが必要だと強く思い、具体的な導きを祈り求めました。子どもを取り戻す最初で最後のチャンスだと思ったのです。子どもたちは「学校のほうがいい。」主人の反応も、「いずれ社会に出ていかなければならないのだから。」「教会のこと、夫のこと、家のこと、全部ちゃんとやるなら文句は言わないよ。」

 こう言われると、弱かったですね。現実に出来ていない、自信が無い。でもホームスクーリングへの思いは募る。とにかく実際に自分の目で見たいと、コンベンションで受け取ったチラシで、沖縄のチャーチスクールセミナーを知り、参加しました。

    

 兄弟達、あなたがたの召しのことを考えて御覧なさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高いものも多くはありません。しかし神は、知恵あるものを辱めるために、この世の愚かな者を選び、強いものを辱めるために、この世の弱いものを選ばれたのです。また、この世の取るに足りないものや見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものをえらばれたのです。 Tコリント1:26〜28

 私でもいいんだという思い、平安が与えられました。こんな小さな者を召してくださったと、感謝でいっぱいになりました。

 帰ってからは、あれほど楽しかったPTAの活動が苦痛になってきました。そんな頃、夏祭りに夜の校舎を使っての「おばけやしき」が計画されたのです。池田小事件の直後ということもあり、保護者や子どもたちの中には不安な声も多く、いろいろと抗議をしましたが、結局は押しきられました。

 キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」 Uコリント6:15〜18

 学校は元気な子どもにとっては居心地が良いかもしれません。しかし、繊細な感性を持った子どもにとっては?と疑問がわきました。特にクリスチャンの子どもにとっては、むしろつらいところかもしれません。ここは自分のいるべき場所ではない、とPTA活動から少しずつ身を引くことにしました。

 

不登校になったら、では遅い

 

 しかし、すっかり「学校」になじんでしまっている子どもたちを引き戻すのは、人間の目では、到底不可能と思われました。夜中にふと目がさめて、起き出してチアマガジンを読んでは祈りました。「アーメン。」「主の御言葉によって子供たちを教育したいのです。子ども達をこの世から引き戻してください。」「この世から私たち家族を分離し、あなたの宝の民として導いてください。」「私達夫婦が、神様に喜ばれる真の夫婦となるように。あなたからお預かりしている子供達を、あなたの御言葉によって養ってください。」と熱心に祈りました。祈らざるをえなかったのです。主が祈りの座へ、導いてくださいました。

 その頃始めて学校を休んで、篠原さんたちと美術館に行きました。その時、はじめて親も子も「学校へ行かなければならない」という呪縛から解かれたような気がします。

 次男はことばの発達が遅かった分、関わる事も多く、親子のパイプが太かったのですが、長男にはそういうことがあまり無く、私も未熟な母親で充分理解してやれなかったかもしれません。その長男が、やがて自分から「学校へ行きたくない。」と言ったのです。

 それまで、なんの問題も無く学校にいっているとばかり思っていたのですが、実はそうではなかったのです。不登校になってから、では遅いのだと気付かされました。不登校になるほどのダメージを受けては、その傷をいやすだけで、どれほどのエネルギーを費やさなければならないでしょうか。

 ホームスクーリングにきりかえるのは、早ければ早いほどよいのではないか、という思いがありました。導きを求め、祈りつつ、ホームスクーリングの集まりに子ども達と積極的に参加しました。さらに、神様から示されたことがありました。私が、主人に反対されていると思っていたのは、実は私自身の受け止め方の問題だということでした。一番迷っていたのは、本当は私自身だったのです。自分の中の「学歴信仰」「学校信仰」に愕然とし、悔い改めさせられました。

 

家族全部で、「生きた証し」

 

 それまで自分で抱いていた数々の疑問や人々の反論がありました。それは、ホームスクーリングは自己中心ではないのかとか、社会で北風にあたり、鍛えられることによってたくましいクリスチャンとして成長するのではないか。学校や社会で良い成績、良い業績を上げることがクリスチャンの証しではないかなど。しかし、それらの疑問は、「聖書」という土台に堅く立つ事によって、全知全能の創造主なる神様が「最善」「最高」の導きをしてくださるんだと確信できました。それはただの甘やかし、自己中心とは全く別の神中心、そして家族全部で、この世と分離した「生きた証し」となる素晴らしい方法だったのです。

 その、私の内なる決断を待っていたかのように、どんどん道が開かれて行きました。幡ヶ谷のウィークリー、チャーチ&ホームスクーリングの試行。京葉スクールの見学。実際に主のみことばに土台を置く教育の実践と体験。学校を休んで参加した次男、輝は、「ぼく、こっちの学校に入りたい。」

 当初、私は自分の思いで、子供達をひっぱっているのではないか?との不安もありました。本年度から足立区は学校自由選択制度開始。どこを選択するのか、長男の気持ちがつかめなかったのです。ホームスクーリングをすすめたいが自分の思いを押し付けては…と、ギリギリまで切り出せず、締め切りの前日ようやく長男と話しました。しかし長男の涙ながらの答えは、「どこの中学にも行きたくない。」「ホームスクーリングにする。」4月からのホームスクーリング開始を決断しました。主は長男の心にも、しっかりと語りかけてくださっていたのです。

 そして11月の軽井沢セミナーのあと、次男の輝は「ぼく、もう学校やめる。神様のこと、もっと知りたいから、ホームスクーリングにする。」次男はそれから1日も学校に通うことなく、ホームスクーリングが始まったのです。まさに主の時でした。長男、新は卒業まで学校に行くことになりました。

 ところが、進路を巡っての担任教師の圧力や、学校でのストレスを弟にぶつけての兄弟喧嘩の日々。ホームスクーリングと、この世の教育のギャップが歴然としました。もう後ろには戻れない、そういう思いでした。

 入学することになっていた十一中の学校説明会に一応、行きました。受験、部活、生徒管理などなど。私達の求めているものではありませんでした。学籍のためだけに入学するのもいかがなものか。もう一度、主に導きを求めることにしました。十一中辞退。四中(学区域)辞退。学籍なしとなりました。そして、主人の意見もあり、思春期、自己の確立に親以外の大人との関わりは不可欠ではないかと考え、グレースインターナショナルスクールの見学をし、本人も納得、入学を決意しました。

 

未来の約束に続く歩み

 

 この4月から、長男、新は、グレースインターナショナルスクールに週3日通って、あとはホームスクーリング。次男の輝は、ホームスクーリング、ことばの教室に週2時間通っています。

 身近に篠原さんなどのホームスクーラーの友達が与えられていることも大きな恵みです。これからは、ホームスクーリングのグループのなかでお互いをサポートしてゆく体制をつくっていければと願っています。

  

エレミヤ35章 

レカブの子ヨナダブの子孫。

背信の時代にあって、先祖からの命令を代々忠実に守ってきた厳格な一族。強い酒やぶどう酒も飲まず、街に定住することを避け、天幕生活を送った。主の命令に従い通した一族。

彼らの子孫に与えられた神からの約束は…「神の前に立つ人がたえることはない。」

 

 ホームスクーリングの本質は、これではないかと思います。私達は、子供達が将来クリスチャンホームを築き、またその子供達もクリスチャンホームを築くことが出来るように、それぞれの家庭に与えられている子供達を教育し、訓練してゆく役割が与えられていると思います。そして、神様に従う私達の信仰の歩みは、このみ言葉のような未来の約束に続いているのです。あまり積極的ではなかった主人ですが次第に前に押し出されつつあります。語学、体育(水泳)などを担当!本当に感謝な日々です!■

 

 

チア・にっぽん事務局
〒189-0013 東京都東村山市栄町1−5−4−103
TEL 042-318-1807 FAX 03-6862-8648

トップへ