ホームスクーリングの12年 

チャーチ&ホームスクーリングをめぐる日本の法律について

吉井 春人 東京ホームスクーリング祈祷会代表 日野バイブルチャーチ牧師   

 

米国では、全州でホームスクーリングが合法化され、2000年秋には連邦議会が、10月第一週を「ホームスクーリング週間」とすると決議、ここにきてほぼ全面的に市民権を得たと言えます。その一方で、私たち日本国でもホームスクーリングは「合法的」とはいえますが、明確な法規定がないゆえに違法とまでいえないが、明確に合法ともいえないという、はなはだ不透明な状態にあるといえます。

私は、ホームスクーリングとは親に教育権を取り戻すための「静かな草の根運動」なのだから、法制化などの政治目標をもった社会運動として始められるべきではないと思ってきました。

 しかし、市役所から長女への赤い就学通知が届く頃に及び、いよいよ保護者として担当窓口に出向いて、ホームスクーリングをおこなうことを説明すべき時期になりました。

 その際、数名の弁護士さんから専門的なご意見をうかがって備えることになり、改めて日本の現行法のなかで教育にかかわる内容について考えさせていただく機会を得たのです。(法律条文及び最高裁判例など、主な引用は「2002年度版「必携・学校小六法」共同出版によります。)

 

1 日本国憲法

 

 ホームスクーリングなど、親が学齢期の子どもたちを在宅教育で育てることは、日本においては違法行為なのでしょうか。 

 かつて「大日本帝国憲法」(1889年発布)にあって、子どもたちの就学は兵役と同じ「国民の義務」でした。そして、直接には「教育勅語」(1890年発布/1948年失効)をもって、教育の美名のもとに天皇の絶対主権という思想注入を余儀なくされたという暗黒の時代を経験してきました。現在の私達は、このような過去の歴史を反省し、平和主義・主権在民・基本的人権という新しい原則に基づいて改訂された「日本国憲法(1946年公布、翌年施行)」(以下、現行憲法)の元にあります。この日本国憲法のなかで教育にかかわる条文は、第3条にみられます。

第3章 3-26「教育を受ける権利、義務教育」

 3-26-1 すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 3-26-2 すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育はこれを無償とする。

 この土台となっている考え方は、主権在民です。本来、この新憲法の理念に従って、さまざまな法律や行政などが運用されなければならないことになっています。(第98条)

 すべての子どもは無償で普通教育を受ける権利があることと、親を含めた大人の側には子どもに「普通教育」を受けさせる義務があると示されています。そこには、「普通教育」とあって「学校教育」とは規定されていません。これは、非常に大切なことです。

 ここで言われている「普通教育」とは、職業教育、専門教育ではない一般的基礎的教育を意味しています。つまり、普通教育は子どもの権利であり、親や保護者の経済力等で差別されず、平等に与えられる、という制度ですから(教育の機会均等)、子どもは教育に対する権利はあっても(学ぶ権利)、学校教育が強制されるという意味の義務はなく、憲法上の「義務」は保護者の側が子どもに対して負っているということになります。

 しばしば、この義務という言葉が後に述べる学校教育法などに寄せて理解されるなかで、戦前戦中の「就学義務」に近い意味で理解されてきました。ただし、旧憲法条文には、「就学義務」はみあたりません。

 旧憲法下にあっても憲政初期の教育令(1879年)では「学校ニ入ラズト雖モ別ニ普通教育ヲ受クルノ途アルモノハ就学ト做スヘシ」とあり、さらには小学校令(1890年)22条では「市町村長ノ許可ヲ受クヘシ」と条件つきながら、家庭における義務教育が認められていました。ただし、戦争のための国民総動員体制が確立し、やがて「国民学校令」(1941年)の公布をみるに及んで、就学は完全に国民の義務とされたのでした。 

 敗戦後、新憲法下にあって子どもたちはこのような国家による思想統制から、解放されました。さらに、学ぶ権利を妨げられないように、行政に対して学校設立を義務づけました。しかも学ぶ権利が経済的理由によって疎外されないように、税金による無償の維持管理を保障させているのでした。

 そして同時にチャーチ&ホームスクーリングを含め選択肢としての多様多彩な教育スタイルが用意されるべき、ということを、まさにこの「普通教育」という表現がさし示しているのです。

 現行憲法から言って、親が義務教育についての責任を明確に示しているホームスクーリングは、罰金をともなうような罪にあたるとみなされるべきではないのです。むしろ憲法の考え方からするとホームスクーリングに対しての行政からの懲罰的適応こそが、違法性の疑いがあるとみなされるでしょう。

 ホームスクーリングは、それが親による教育遺棄にあたらないばかりか、学校が親の代行として行使している「普通教育」という国民の義務を、「本来の責任主体である親が引き受けている」ことになるのです。

 

2 教育基本法

 

 日本は法治国家ですので、新憲法のもとにあって、教育基本法や学校教育法なども形成されなければなりません。それゆえに教育勅語は撤廃されました。(1948年)そして、事実上教育についての指針を喪失した国民のために、教育についての新しい国家指針を示したのが教育基本法でした。そこに非常に重要な箇所がみえます。

第4条 義務教育 

1 国民は、その保障する子女に九年間の普通教育を受けさせる義務を負う。

2 国又は、地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料はこれを徴収しない。

 ここでも、現行憲法にある「普通教育」という言葉が使われています。新憲法の理念が忠実に踏襲されているのです。これは、「普通教育」が学校教育と等しいという概念ではなく、学校教育以外の教育方法が、法律上でも十分に意識されているということを表わしています。

 「普通教育を受けさせる義務」とは、親(保護者)が学校に子どもを通わせる義務ではなく、普通教育を受けさせる義務であると読めます。しかも、文脈として、学校に要求されている責任は授業料無料化であり、そのねらいは経済的格差によって、子供たちの学習の機会均等がそこなわれないよう制度面から保障していると読めます。社会教育の項目については、さらに注目すべき条文があります。

第7条 社会教育 

1 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。

2 国及び、地方公共団体は、図書館、博物館、公民館などの施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。

 

はっきりと、家庭教育が国及び自治体によって「奨励されなければならない」とされています。しかも、責任主体は「国及び地方公共団体」です。ですから、在籍状態にあって、不登校からホームスクーリングに移行するような場合も、「社会教育」という範疇では、行政側にはそれを積極的に受け入れなければならない義務が生じていることになります。ただ、ホームスクーラーにとってこの条文が完全に法律的根拠であるとされないであろうと思われる理由は、家庭教育が、義務教育と区別された「社会教育」というカテゴリーに入れられているということです。

 読み方によれば、ここでは家庭教育さえ学校教育を充実させるための動員手段とされうるのであり、自律性の高いチャーチ&ホームスクーリングが認知されるための法律上の規定は、やはりいまだにないということになります。

 

3 学校教育法

 

 違憲状態として問題とされなければならないのは、ホームスクーリングよりも 現行憲法や教育基本法の精神に全く反して、戦前の国家総動員法や教育勅語に範をとったような学校教育法の側なのではないでしょうか。現行憲法や世界人権宣言などの国際規約の視点からすれば、現在の学校教育法は疑いもなく違憲状態とみなされるべきです。学校教育法には次のように規定されています。

第22条 保護者(子女に対して親権を行う者、親権を行う者のないときは、未成年後見人をいう。以下同じ)は、子女の満6才に達した日の翌日以降における最初の学年の初めから、満12才に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部に就学させる義務を負う。ただし、子女が、満12歳に達した日の属する学年の終わりまでに小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部の課程を修了しないときは、満15歳に達した日の属する学年の終わり(それまでの間において当該教育を修了したときは、その修了した日の属する学年の終わり)までとする。

第39条 保護者は、子女が小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満15才に達した日の属する学年の終わりまで、これを、中学校、中等教育学校の前期課程又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の中学部に就学させる義務を負う。

 「保護者」は、…「義務を負う」といわれ、文脈からもここで使われている義務の意味は、新憲法より後退した旧憲法の就学義務に近いのです。この条文を根拠にして、親を含めたすべての保護者はその子どもの就学を義務として国から強制的に負わされていると、一般的に理解されきました。

 しかし、すでに確認したように、たとえば憲法および教育基本法で使われている義務の意味は、「教育制度を整備する義務は学校が負っている」という意味であって、旧憲法下での兵役義務のように子どもに登校を義務づけているのだと解釈されてはなりません。

 学校教育法本文に示される保護者とは、普通教育という国民の義務を行使するために、学校を選択した親(保護者)への罰則規定と読みとることができます。文脈からすれば、親が学校教育に子どもを全面的に委ねることをいったん決めたにもかかわらず、保護者の学校依存度が低いと判断される場合には、罰金を伴うこともありうるという意味と読めます。問題の懲罰規定は第91条にあります。

 

第91条 第22条第一項又は第39条第一項の規定による義務教育履行の催促を受け、なお履行しない場合は、これを10万円以下の罰金に処する 

※1998年(平成10年)改訂で罰金額が増額されました。

 この条文の「義務教育履行の催促を受け、なお履行しない場合」とは、就学拒否を意味します。親が普通教育を子どもに与えることをしないネグレクト(法律用語で、児童虐待するなど親の態度についての表現)のまま子どもを据え置く場合と考えます。

 ホームスクーリングの場合は、「普通教育」実現のため、行政的サービスである「学校教育」を選択せず、積極的に自宅で「普通教育」をさせているわけですから、罰則にあたる理由はみあたりません。

 「仮に違法状態にあるとしても、やはり法律は法律。あえて罰金を払うことで、その異常な状態をあぶり出すことに意味がある」という見解もあるでしょう。しかし、現行の学校教育法だけではホームスクーラーに罰金を払わせるための根拠としてさえ薄弱です。

 義務教育という国民の責任を果たすために、学校教育をあえて選ばない積極的な教育者であるチャーチ&ホームスクーラーが、どうして「学校教育法」によってさばかれるでしょうか。

 「子どもの普通教育実現のために、学校制度以外を認めない」とでも銘文化されているなら別ですが、新憲法はもちろん、教育基本法や学校教育法に、そのような規定はみあたりません。むしろ、旭川事件最高裁判決(1976年5月21日)では、「家庭教育等学校以外における」親の教育の自由について、「教育内容に対する国家的介入に対しては、できるだけ抑制的であることが要請される」と判断されました。

 私がご意見を求めた弁護士さんたちは異口同言に「ホームスクーリングに対して、仮に行政側から訴えられるようなケースがあったとしても、勝訴することはほぼ間違いないでしょう」という趣旨のご意見でした。

 ただし日本国内では米国のような裁判事例はなく、当然判例もありません

 弁護士さんのご意見も頂戴した上で、私たちは教育委員会窓口に対しては、ホームスクーリングで子どもを育てる意志のあることをできるだけ丁寧に説明しました。そして、結果としては罰金も要求されなかったのです。少なくとも、その時点ではホームスクーリングを、現行の法律の範囲内でも受け入れられやすい私立学校の一種とみなすという便宜上の位置づけが示されたからだともいえます。

 けれども、現段階では、やはりホームスクーリングは法律上グレーゾーンにおかれているのであり、法的受け皿がありません。ですから、しばらくは教育委員会や校長に最終判断がゆだねられ、地方自治体ごとに結論が違うといった場当たり的な対応が続くことでしょう。

 今の段階では、行政に対しての対決姿勢ではなく、保護者という立場からホームスクーリングを主体に学齢を過ごさせるという意志をはっきりと示すべきです。その際の説明責任は、教育行政の側ではなくむしろ親の側にあります。

 米国においても、社会的認知が一朝一夜のうちに実現したのではなく、ホームスクーラー側が、時には教育官僚から訴えられながらも勝訴をつみ重ねてきたという苦難の歴史があったといわれています。現在でも「ホームスクーリング法律擁護協会(HSLDA)」の地道な活躍によって、ホームスクーラーたちが支えられているのです。

 

4 世界人権宣言

 

 国連によって1948年公布された「世界人権宣言」は、条文の意味がきわめて明解で、解釈の余地はありません。

第26条の3  親は、子どもの教育の種類を選択する優先的権利を有する

 チャーチ&ホームスクーリングで子どもを育てることは、世界人権宣言批准国においては、親および保護者の優先的権利として認められるべきなのではないでしょうか。

 もし学校関係者から、「ホームスクーリングに反対はしないが、だからと言ってそれは公的に受け容れられているものでもない」などと言ってこられるようなことでもあるなら、どうか世界人権宣言を味方につけてください。世界人権宣言は1948年国連総会にて採択され、1979年に日本政府もこの世界人権宣言を条約化した「国際人権規約」を批准しました。その第12条には次のようにあります。

3この規約の締約国は、父母及び場合により法定保護者が、公の機関によって設置される学校以外の学校であって国によって定められ又は承認される最低限度の教育上の基準に適合するものを児童のために選択する自由並びに自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。

4この条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び管理する自由を妨げるものと解してはならない。(以下略)

 国際人権規約の批准国である日本は、親が普通教育の内容を決める優先的権利をもっていることを公的に認めなければなりません。そして、親が「普通教育」として、チャーチ&ホームスクーリングを選択する意志をあきらかにするなら、それを公的に受け入れるべく、国内法を整備すべき義務を国際社会に対して負っているのです。

 将来必ずホームスクーリングを法的にも認める時代が来ると思います。その場合行政側から、児童虐待と区別するためのホームスクーラーとしての成立条件、あるいは資格という杓子定規な要求などを、してこないとは断言できません。「普通教育」のために、学校教育以外の手段でも可能であるという内容の法制化なら歓迎したいと思います。ただ、法制化されたというだけでは、行政側が監視的になり、いいホームスクーリングと悪いホームスクーリングを定義し、個々の具体例の善し悪しを懲罰的に判定しはじめるなどが、決してないとはいいきれません。

 子どもを諸悪から守るべき責任は、造り主なる神からの使命として、行政側を含めた他人ではなく、第一に保護者である親に託されたことなのです。繰り返しになりますが、ホームスクーリングで子どもの学齢期を過ごさせるという意志をはっきりと示すべき説明責任は、いつの場合でも、むしろ親の側に問われているのです。

 欧州のあるホームスクーラーが、親も子どもも教育官僚からの適性化指導を受け、不本意ながらも指導に従わなければならなくなったとの報告もあります。つまり法的認知と引き替えにホームスクーラーが教育官僚側の指導と監視下におかれるなら、子どもを学校に行かせるよりもかえってしんどい事になるのではないかと思われるのです。

 ホームスクーリングはその民主的性格を、共産圏などではなく自由主義圏(そのなかでも特にキリスト教会)を母体にして育まれているという捉え方も大切です。「新しい民主的文化国家における教育の理念は、上からあたえられるものとしてではなく、むしろ国民のうちから盛り上がるもの」(田中二郎氏東大・憲法学)といわれる日本の教育史の必然に、チャーチ&ホームスクーリングがあるともいえるのです。■

 

 

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