マス・メディアの悪影響から子供を守る2 

テッド・ベア博士

 

「殺す訓練」

 娯楽マス・メディアには若者たちを暴力に走らせるような影響を与えるということを理解するのに最も大きな助けをしてきたのは、デイビッド・グロスマン中佐であろう。中佐はもう四半世紀近く、軍隊の心理学者として「いかにして人が人を殺すように慣れるか」の研究をされてきた。97年に起きた15の青少年による殺人について調査した結果、メディアが青少年たちに行なった「殺すための訓練」と軍隊が新兵に対して行なっている「殺すための訓練」の間の重要な相関関係の存在に気づいたと言う。「殺す事」には訓練が必要である。人には、自分と同種の者を殺す事に対して、本来備わった嫌悪が存在するからである。社会病質人格の者のみが、この生まれながらの暴力免疫システムを持ち合わせていない。だから、自然の状態では、子供は殺人を犯さない。

 殺人とは、後で身に付けた技能であり、彼らはそれを家庭内暴力や、テレビ、映画、テレビ・ゲーム等の娯楽に含まれる暴力に見出だすのである。

 戦争においてさえ、自分の仲間の人間を殺す事にはためらいがある。例えば、発砲率は、南北戦争では極めて低かった。当時、一分間に五百〜二千人を殺す事が出来たのに、実際の殺人は一個連帯、一分間に一人、二人だけだった。ゲティスバーグの戦いで死んだ兵士の2千七百丁の銃のうち、弾が込められたままなのが90%だった。自分の信条のために喜んで命を捧げたが、進んで人を殺す事は無かったのである。

 第二次世界大戦中、アメリカ軍は、ライフルを持たされた兵士のたった15〜20%の者しか敵兵を撃つことがなかった。軍隊的観点からすれば発砲率が15%ということは、図書館司書の15%しか字が読めないのと同じことである。

 このことに気づいた軍は、組織的にこの「問題を解決」することに取り組み始めた。そこで朝鮮戦争の時までに55%の兵士が殺すために発砲するようになり、ベトナム戦争の頃までには90%以上までになった。

 グロスマン中佐は、兵士の殺人率をいかにして軍が上げたかを理解することから学ぶことがあると記している。なぜなら我々の文化は、同じ事を子供たちにしているからである。軍が訓練する際に用いた方法は、無感覚にさせること、古典的条件付け、オペラント条件付け、役割モデルである。

無感覚にさせる

  

 グロスマン中佐は、野蛮化と無感覚化の二つが軍の新兵訓練において起こる事であると指摘している。バスを降りたその瞬間から、肉体的にも言葉でも虐待を受けることになる。数えきれないほど腕立て伏せをやらされ、何時間も気をつけの姿勢を取らされ、思い荷物を持ったまま走りつづけなければいけなかったりする。一方、特別に訓練を受けた専門家たちが交替でどやしつけてくるのである。この野蛮化は、兵士の今までの道徳観や規範を打ち壊し、新しい価値観、つまり破壊を好み、暴力と死が生きる道となるような価値観を植え付けられるように仕組まれている。しまいには暴力に対して無感覚になり、かつ必要不可欠な技量となる。

 何かこれによく似た無感覚化がマス・メディアにおける暴力を通して我々の子供たちに対しても起こっているのである。18歳の新兵たちではなく、テレビで何が起こっているのかがわかる18ヶ月の子供からそれは始まる。

 誰かが銃で撃たれたり、刃物で刺されたり、レイプされたり、残忍な仕打ちを受けたり、殺害されたりするのを幼い子供たちがテレビで見るのは彼らにとって、あたかも実際に起こったことなのである。4、5歳位の子供に映画「スプラッター」を見せると、最初の90分は登場人物について理解しようとする。後の30分はその新しい友人が追いかけられ、野蛮に殺されるのをどうしようもなく見ていることになる。これはモラル、心理学的に、子供に友だちを紹介してあげ、遊ばせてあげた後で子供の目の前でその友だちを虐殺してしまうのと同じ事なのである。このような事が我々の子供たちに対して何度も行なわれているのだ。

 

古典的条件付け

 

 グロスマン中佐は、日本人は兵士たちに対して、古典的条件付けの名人であったことを示している。第二次世界大戦の初期、中国人捕虜は後ろ手に縛られて、溝の中に跪かされた。選ばれた日本人の兵士は溝のところまで行くと、捕虜たちを銃剣で突き殺した。土手の上には数えきれない兵士がいて、荒々しく声援を送るのであった。実際に殺人に関わったのは少人数でも、他の者に見せ、声を出させる事により、人を殺す事、人の苦しみを楽しみと結びつけるように古典的に条件付けることができたのである。この後ですぐに兵士たちは酒、何か月振りかのごちそう、慰安婦が与えられたのである。その結果兵士たちは暴力行為と楽しみを結びつける。知らないうちに、人を殺す事を好きにさせるメカニズムなのである。

 我々の子供たちは、生々しい人が苦しんでいる映像を見て、それをお気に入りのソフトドリンクヤお菓子、あるいはガールフレンドの香水と結びつけているのである。ジョーンズボロの発砲事件の後で、一人の高校教師がその中学校の事件を生徒たちに話した時の反応について述べている。「皆笑っていたんです。」と。

 似たような反応は、映画館の中で血なまぐさい暴力を見た後、いつでも起きているのだ。若者たちは笑い、喝采し、ポップコーンを食べ続ける。我々は暴力を楽しみと結びつける野蛮人という世代を育て上げてしまった。彼らは、クリスチャンがコロシアムで虐殺された時、拍手喝采して何か食べながら見ていたローマ人たちと何ら変わりはしない。

 

オペラント条件付け

 

 グロスマン中佐は、軍が用いる三つ目の方法は、たいへん強力な、刺激―反応というオペラント条件付けだと述べている。良い例は、パイロットの訓練にフライトシュミレーターを使う事である。訓練中のパイロットは、限りない時間フライトシュミレーターの前に座る。特定の警告ランプが点灯すると、彼は特定の反応をするように教えられる。刺激―反応、刺激―反応。そのパイロットが実際にジャンボジェット機を操縦している。高度がどんどん下がっていく。背後では300人の悲鳴。彼はびっくり仰天していても正しく対処できる。彼がこの災難に対して反射的に反応するように条件付けられているからなのである。

 軍や警察では、殺す事を条件付けられた反応にしてしまった。もしこのことで戸惑いを感じているなら、子供がテレビゲームで標的を「狙って」「撃つ」という行為で、まさに同じ条件反射を身に付けているという事実にどれ程私たちは戸惑わねばならないことだろう。

 グロスマン中佐は、ある殺人事件の裁判の事を述べている。グロスマン中佐は死刑宣告を受けた少年の減刑を求め、陪審員たちに、テレビゲームが彼に「殺すために撃つ」条件付けをしたのだと説明しようとした。

 その少年はテレビゲームに何百ドルもつぎ込んで狙っては撃つことを身につけたのだ。ある日彼は友人と「コンビニエンスストアを襲うのは面白そうだ。」と言う結論に達した。

 彼らがその店に入ると、その少年は銃身が短い38口径のピストルを店員頭に向けた。こちらを見ようと店員が振り向くと、被告人の少年は6フィート離れたところから銃を撃ち、弾は店員の眉間に命中、なかなかの腕前だった訳だが、この二児の父の命を奪ってしまった。後にグロスマン中佐が少年にどうしてそんな事をしたのかと尋ねると、その店員を殺す事は全く計画外のことだった。この状況は6方向からビデオ録画されていた。少年は言った。「わからない。間違いだった。そうするはずではなかった。」

ジョーンズボロの発砲事件に加わった少年の一人は、(彼らはほんの少年にすぎない)本物の銃を撃つ経験がかなりあったらしい。もう一方の少年は、我々の知り得る限り全く無かった。この二人の少年が百ヤード離れた所から27発撃って、十五名に命中した射撃の腕は注目に値する。グロスマン中佐は、このような例はよくあると言う。今まで一度も銃に触れた事の無い子供たちが本物の銃を手にすると、信じられない位正確に撃つ。なぜか? 答えは、テレビゲームである。

 

役割モデル

 

 グロスマン中佐は、軍隊に入るや否や、新兵は自分の模範となる人と会うと記している。教練指導軍曹である。彼は暴力と攻撃性を具体的に表している。暴力的な役割モデルは、若い感受性の強い心に影響を与えてきた。

 今日では、メディアが私たちの子供たちに役割モデルを提供している。役割モデルの提供は、単に映画やテレビの架空の社会病質人格だけでなく、報道によって誕生したジョーンズボロの模倣殺人事件のような犯人にも見られる。これは、青少年犯罪の持っている、テレビネットワークがあまり伝えたくない局面であろう。

 ティーンエイジャーの殺人犯がテレビに出てくると、「意地悪な人みんなに仕返しをしてやるぞ。ボクの写真もテレビに出るようにしてやる!」と独り言を言っている潜在的暴力少年がどこかに存在しているのだ。

 グロスマン中佐は、午後6時のニュースによりアメリカじゅうにウィルスのように撒き散らされている連続模倣殺人事件の報道を記している。行なった事が何であれ、写真がテレビに出たとたん、その人は有名人になってしまう。そして、どこかの誰かが、「次はオレの番だ!」と張り合うことになる。

ジョーンズボロ発砲事件の引き金となった一連の事件の始まりは、その6ヶ月位前にミシシッピー州、パールで起きた。パールでは十六歳の少年が母親殺害の罪に問われている。彼は母親殺害の後学校へ行くと、9名の生徒に向けて銃を撃ち、かつてのガールフレンドを含め二人が死亡している。2ヵ月後には、ケンタッキー州パドゥーカで、十四歳の少年が生徒3人の殺害と5人の傷害の罪で逮捕された。

このモノマネ犯罪ウィルスが広がって行くステップとして、アーカンソー州スタンプスで事件がおきたのが、パール事件の半月後であり、ジョーンズボロの90日と少し前の事だった。

スタンプスの事件では、クラスメートに腹を立てた十四歳の少年が森に隠れ、学校から出てくる子供たちに向け、銃を撃ったというものであった。

聞いたような事件ではないだろうか。怪我をしたのがたったの二人だけだったのでこの事件は世界的には有名ではない。しかし、地方のテレビは大きく取り上げたので、おそらくジョーンズボロの二人の少年の耳にも入ったことだろう。

 このことは、青少年被告者たちの写真を放映することによって、彼らを有名人にしているテレビネットワークの「権利」に対して払うべき正当な犠牲なのであろうか?(つづく)■

 

テッド・ベア博士

 ムービーガイド社社長、クリスチャン映画&TV委員会代表。弁護士。神学博士。元パラマウント映画プロデューサー。C.S.ルイス「ライオンと魔女」BBC制作でエミー賞受賞。ハリウッドからの聖書的ムーブメントをめざし、監督やプロデユーサーとのネットワークも広い。モーセの生涯「プリンス・オブ・エジプト」(ドリーム・ワークス)では、聖書的な監修にあたった。隔週の「ムービーガイド」誌を発行。

 

 

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