ホームスクーリング 勝利のビジョン(チア・にっぽんコンベンション2001 基調講演1)

ダグ・フィリップ 

 

たとえ全世界を手に入れても、子供の魂を失うとすれば? 

 

 今晩私たちがここにいるのは、日本の家族がリバイブするための神様の目的を果たすためである、そう思っています。アメリカでは20年前、50万人もホームスクーリングをする人はいませんでした。しかし今日では200万人にも及んでいます。この人々は良い教育を子供たちに提供するだけではなく、家族の中にリバイバルが欲しいという願いをもってホームスクーリングをはじめたのです。

 家庭教育ということについて話すまえに、皆さんへの質問からはじめたいと思います。人がたとえ全世界を手に入れたとしても、子供たちの魂を失うとすれば何の意義があるでしょうか。たとえすばらしい仕事を手に入れたとしても、人生が成功であったとしても、すばらしい学歴を得たとしても、子供たちを失ったら何の意義があるでしょうか。皆さんの魂のわきに、キリストが皆さんに弟子訓練してくださいよと託した子供たちの魂があるのです。

 私がここに立てるのは、私自身の父親が私をホームスクールしてくれたからです。私も私の妻も家族を通した弟子訓練の2代目になります。これは素晴らしい喜びです。人がたとえ全世界を手に入れたとしても子供たちを失うとすれば何の意義があるだろう。それが、私の人生にどの様に実現したかをお話したいと思います。

 私は、非常に質素な父親のもとに育ちました。私の父親はユダヤ人の家庭に生まれ育ちました。私が小さい頃にはヘブル人の学校に行っていました。しかし神様の摂理によって、父はリチャード・ニクソン大統領の内閣で働くように導かれました。

 父はアメリカの歴史の中で初めて、政府が運営していた邪悪な団体を閉ざす働きをしました。この団体は堕胎を助長したり、若い女性にひどい扱いをすることを助長するような団体でした。父は一万五千人をそこで解雇しました。そのために父は大変苦しい迫害に遭いました。その中で、父は常に私を傍らに置き、これは大事なことなんだよと話してくれました。アメリカも日本もそうでしょうが、父親が子供を働きの場に連れて行くのは余り受け入れられることではないと思います。父親が子供のために割く時間は、余りないでしょう。しかし私の父はユダヤ人ですから、子供と一緒にすごす時間が大切だということを知っていました。それで父はどこへ行くにも私を連れて行ってくれました。ホワイトハウスに、52州全てにも、連れて行ってくれました。その人生全部を通して、アメリカの歴史を語り、御言葉を語り、言葉を教えてくれました。

 私が子供のある時、父は聖書を持ってきました。テーブルの上において、これは聖書だ、書いてあること一行一行が全て本当だよ、と言ったのです。父がキリスト者として歩みだした一歩でした。神様は父の人生の中に、たくさんの説教者、牧師を送って下さいました。そして御言葉を語ってくれました。私が10代の時に、一日として父が聖書を開かずに食事をした日はありません。

 

何を基準にして我々は生きるべきか?

 

 1800年代くらいのアメリカで一つの歴史的事実が作られました。トーマス・ジェファーソンが、アメリカの識字率を調査させたのです。当時98.7パーセントの白人の男性が文字が読めた。当時お父さんたちは聖書を開いて子供たちに読ませた、そういう習慣があったのです。

 父もそうしてくれました。幼い私の識字力は、大学生のそれよりも高かったのです。父が何百時間もかけて私たちを訓練してくれたからです。

 大変深い深い質問をここでしたいと思います。魚は自分が濡れている、ということを知っているでしょうか?変な質問ですね。この質問をしたのは、私たちが今この魚の状態だと思うからです。魚は自分が濡れていると分かっていると思われますか?分かってないと思います。乾いた状態とはどういうことか分かりません。私たちも、聖書の価値観を完全に拒絶する文化の中に生きているものとして、聖書的な親の姿というものも、聖書的な教育というものも分からない状態です。それは魚が水の中にいるように、私たちがキリストを拒絶する文化の中に当たり前のようにいるからです。

 何を基準にして、我々は生きるべきか?何を基準にして、私たちは子供たちを教育するべきか?何を基準にして、両親として生きていくべきか?何を基準にして、優先順位を決めていくべきか?

 お一人お一人が、全て自分の基準を持っておられます。自分の考えを基準にするか、周りにある文化を基準にするか、仏教僧を基準にするか、政府を基準にするか、ロックンロールのミュージシャンを基準にするか、または神様を基準にするか。2つを基準にすることは出来ません。人生においての基準はなんですか?聖書が、私たちに与えられている唯一の基準であるということを、強く提案したいと思います。クリスチャンとして、聖書以外を基準にする時、私たちは聖書を拒絶したことになります。イエス・キリストは私たちが子供をしつけるときも主でなければなりません。このことに気づいたとき、私たちはリバイバルの道をたどることになります。

 家庭教育は新しい教育の方針ではありません。一番古い、聖書の中に書かれている教育の方法なのです。神様にふさわしい子供たちを育てるために、教育と神様との関わりを一緒にさせた形の教育法です。神様がモーセを通して、子供たちをこのようにしつけなさいと言った教育法です。

 私たちのアメリカが、国を建てあげた当時の教育法です。アメリカの最初の250年間の国のリーダーは、この方法によって教育されてました。ピルグリム・ファーザーズからジョージ・ワシントンまで、この教育法が伝えられてきたのです。親が子供たちを弟子訓練し、育てていくことに力を注いだとき、国は栄えていくのです。しかしその理論が失われたとき、アメリカという国は崩壊し始めました。

 この方法は、新しい教育の方針ではないのです。神様の真理というのは、全ての文化の中に見つけることが出来ます。皆さんも私も、神様の啓示という形で、共通の神様の遺産をもっています。神様の知識と式とその優先順位は、あらゆる単一の文化に勝ります。しかしサタンが来て、残されている神様の真理を曲げたのです。

 日本の文化の中で、尊敬を払うという部分は、神様の真理ではないかと思います。しかしサタンが来て、先祖崇拝という形にしてしまいました。しかし人を尊敬するという聖書的な遺産というのは、聖書の中に書かれていることです。この教えというのは、ノアの時代まで遡るものです。ノアにとって真実だったように、アメリカにとっても真実です。ヘブル人への手紙の中に、ノアは神を畏れて家族を救うために神様に従った、と書かれています。

 

たとえ次の世代への踏み台になるとしても

 

 400年位前にピルグリム・ファーザーズが来て、アメリカという国を建てました。皆さんの多くは、宗教的な理由でイギリスで迫害されたから新大陸に来た、と学んだと思います。もう一つ重要な理由があります。彼らは子供たちが悪い影響を受けないように、彼らの人生を犠牲にして新大陸に渡ったのです。子供たちが当時の文化の悪い影響を受け始めて将来の世代が崩壊の危機に面している、それでアメリカに渡った、それはすばらしい基礎を作るという大きな希望をもって出かけたのです。たとえ彼らが次の世代への踏み台になるとしても、です。神様は皆さんを踏み台として用いて素晴らしい次の世代を育て上げるために皆さんを召しているのではないでしょうか。

 神様は、子供たちに人生を捧げるために皆さんを召している、と信じます。それはイエス様が私たちのために人生を捧げてくれたのと同じです。ですから、ホームスクーリングということを考えて、勝利のヴィジョンということを考えるとき、いつもこの古いところまで戻りたいのです。

 エレミヤ書6:16に、「主はこう言われる。『さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問い掛けてみよ、どれが、幸いにいたる道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ』しかし、彼らはいった。『そこを歩むことをしない』と。」

 

私を愛するなら私の羊を飼いなさい

 

 ここで皆さんに大胆な一言をチャレンジしたいと思います。アメリカのリバイバルの動きはホームスクーリングを通して行われたということです。ホームスクーリング自体が目的ではありません。それは手段です。親が子供のために人生を犠牲にする時リバイバルが起きるのです。聖書はそれを教えます。旧約聖書の最後の一節に、バプテスマのヨハネの来るべきことが預言されています。「預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる」(マラキ書3:23〜24)神様がこのことをするのは、主がこられる準備としてなされるということです。

 神様が親の心を子供に向けるとき、人々の心が主に向くようになる。しかしおなじ箇所に言われていることは、もしも親が子供に心を向けないならば、この地を神様はつぶしてしまう、とあります。イエス・キリストが来られたときに、親と子供の間にリバイバルがありました。離れてしまった心がもう一度一つになりました。

 しかしここで聖書をもっと深く学びたいのですけれども、家庭教育ということとリバイバルということとは深い関わりがあるということです。

 キリストは大切な質問を投げかけられました。何が一番大切な戒めか、ということです。何を主は言われたか覚えておられますか。「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5)これが一番偉大な戒めです。他の戒めは全部、これを広げた形の戒めです。他の何一つ守れなかったとしても、これが守れたら、素晴らしいことをしていることになります。

 面白いことには、新しい戒めを加えたのではなくて、古い契約を引用したのです。申命記の中に書かれています。このみ言葉の箇所は、全てのユダヤ人が生まれたときから繰り返し聞き、覚えてきた言葉です。ユダヤ人はこのことをシュマーと呼びます。これが礼拝の礎石になっています。「シュマー・イズラエール…」聞きなさい、イスラエル。主は私たちの神、主はただ一人である、という意味です。このシュマーを言った後で、戒めを私たちに与えてくださいます。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。これこそ一番大切な戒めだと覚えてください。

 一つの大切な質問があります。私たちはどうやって生きたらいいのでしょう?どの様に従ったらいいんでしょう?キリストが答えを下さいました。新約聖書のほうに行きたいと思います。キリストがペトロに向かってこういうことを言いました。キリストを三回否定したペトロに向かってです。

 ペトロよ、私を愛しますか?主よ、あなたは私があなたを愛することをご存知です。イエスは何と答えましたか?私の羊を飼いなさい。もう一度主はペトロに向かって言いました。ペトロよ、私を愛しますか?主よ、私はあなたを愛します。私の羊を飼いなさい。もう一度ききました、ペトロよ、私を愛しますか?最後に、主よ、あなたは私があなたを愛することをご存知ではありませんか。イエス・キリストは言いました。もしあなたが私を愛するなら私の羊を飼いなさい!言い換えてみれば、羊を飼うということは、人を愛するということなのです。もし戒めに従おうと思ったら、羊を養わなくてはいけません。愛について、ただ口先だけで話さないで下さい。イエス様は言いました。ペトロよ、もう語ることはいいから、実際に行おうではないか!

 私がどうして私の父を愛するのかここでお話したいと思います。私の父は私にとって英雄です。私がいつか真似をしたいと思うような素晴らしい見本を示してくれました。

 私が父と一緒に旅をした時、有名な方々にたくさんお目にかかりました。有名な伝道者、牧師先生。気付いてみると、みんな子供を失った人たちでした。世界に、社会に向かって働きかけても子供を失っていたのです。キリストのために働くといって、他の人達に子供の面倒をみさせたのです。愛について教えましたけれども、羊を養わなかったのです。これが20世紀の福音派のキリスト教徒の悲劇です。

 19世紀にもこの問題は見られておりました。有名なチャールズ・フィニーという伝道者も、何万人もの魂をも勝ち得ましたけれども子供を失いました。ビリー・サンデーという伝道者は、何百人もに説教を語りましたが子供を失いました。何年か前に、私はビリー・グラハム先生の運転手をする役割を仰せつかりました。旅の途中に、質問をしました。「グラハム先生、もしもう1度人生を送りかえせるとしたら、何を変えたいですか?」「私は息子をミッションスクールには送らないだろう。私自身が息子と一緒に時間を過ごすだろう」 

 どんな有名な方でも、何を優先すべきかについては混乱した時があったようです。種を蒔く時に、それを刈り取らなくてはなりません。多くの人に、この悲劇が起こっています。私の名前はダグラス・フィリップといいますが、これはダグラス・マッカーサーにちなんでつけられています。日本の皆さんの心を傷つけずにこれを話したいと思いますが、私が小さいときにミセス・マッカーサーと時間を過ごしていました。私の家の壁には、彼女からいただいた写真があります。ちょっと苦々しい、また甘い思いを持って、その写真を眺めます。ダグラス・マッカーサーですらも子供を失うという、このリストの中に加わってしまったのです。ダグラス・マッカーサーは若い頃に4、5回、わが息子をあなたに捧げますというような詩を神様に書きました。しかし人生が忙しくなるにつれて、子供と一緒に過ごす時間が少なくなってしまいました。そして息子が彼に逆らうようになってしまいました。そして離れた状態でその人生を閉じることになってしまいました。ミセス・マッカーサーも悲しみのうちに生涯を閉じました。

 

人がたとえ全世界を手に入れたとしても、子供たちを失うならば、何の意味があるでしょうか。

 

 もう一度ペトロとイエス・キリストのところに戻します。イエス・キリストは「もしあなたが私を愛するならば羊を飼いなさい」と言ったのを覚えていますか?神様を愛することが戒めの一番大切なものであることを覚えていますか?では、どの様にして私たちは羊を養うことが出来るでしょうか?聖書はここに答えを与えていてくださいます。申命記の中に、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛する時に、どの様にして羊を養うかが書かれているのです。「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」(申命記6:6、7) いつもいつも羊を養いなさい、ということです。

 気が付きましたか、羊を養うのは政府ではない、教会でもない、親です。

 それはずっと続くプロセスです。羊を養うということは大変時間のかかることです。それは人生全部の時間をかけることです。悲しいことは、親が子供を学校に送るとき、人生の五年間を学校に全部取られていると同じ状態なのです。起きている時間の二万時間以上を学校で過ごしますから、親との時間を持てないことになるのです。

 

子供に人生を捧げなさい、という召命

 

 申命記のもう少し後の方に、神様が何をして、どのようにして子供たちを養うかを語ったあとで、これがどんなに重大なことかを語っています。これは命を与えるもの、人生だということです。羊を養うということは無駄なことではないのです。些細なことでもないのです。それは人生です。

 神様は皆さんに子供たちのために人生を捧げなさい、という召命を与えているのです。これは本当に神様にとって大切なことなので、これがあなたの人生です、と神様は言っているのです。神様は、最大の戒めを与えました。どうやってその戒めに従えばいいかを教えました。それこそ私たちの生き方、人生である、とチャレンジしています。

 そして父親の心が子供に向き、子供の心が父親に向くとき、リバイバルが起こると言っています。教会のリバイバルが、親が子供に神様の真理を伝えていく、ということにどれくらい依存しているか、気付かれているでしょうか?親が子供に真理を伝えていくことこそ、聖書の歴史の中に流れている真理なのです。神様に私たちの愛を示す最も基本的な方法なのです。

 男性の方々、このことをどうぞ覚えてください。仕事が一番大切なことではない、成功が一番大切なことではない、イエス・キリストが人生の中で一番大切なことである、そしてイエス・キリストに愛を示すには、皆さんが子供に愛を示すことによって実現される。  

 その方法は、子供を教え、訓練し、共に歩くということです。神様は私たちに非常に忍耐深くあられます。ヨハネによる福音書に例が示されています。神様が、神様の息子のイエス・キリストへの家庭教育をこのように表現しています。「そこで、イエスは彼らに言われた。『はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることを全て子に示されるからである』」父なる神は、子なるキリストの第一の訓練者だったのです。

 同じように聖書は、地上の父親は地上の息子たちに対して、第一の訓練者でありなさいと教えています。

 

子供たちをキリストの似すがたに

 

 もし私たちが政府の教育の理念に則っているのなら、これらのことは全く意味のないことではないでしょうか?一般の教育の目的は、子供たちにいい職業に就かせ、いい知識を与えることです。人々に認められるような生き方をすることです。

 しかし、教育の本当の目的というのはこういうものではありません。聖書が教育の本当の目的を教えています。それは子供たちを、神様が一人一人に与えたイメージに変えていくということです。それは子供たちがキリストに似たものとされていくのを見るということです。

 皆さんの役割は、兵士を鍛え上げることだということをご存知ですか?多くのクリスチャンたちは、生半可でいいや、と思いがちです。神様の皆さんへの願いは、キリストのために戦士を作り上げて欲しい、ということです。

 兵士になるためには、兵士の教育が必要です。兵士の教育とは、主を畏れることから始まります。聖書は、主を畏れることが知識の始め、と言います。もし主を畏れることが知識のはじめならば、どうして子供たちを主を畏れない人のところへ送るのでしょうか。愚か者が神の言葉を侮る、と聖書には書いています。これは普通の学校教育をしている人を軽んじる、ということではありません。しかし聖書はイエス・キリストが教育の基盤にならない限りは意味がない、と語っています。

 聖書はまたペトロの第一の手紙で、本当の教育と言うものは信仰に始まると教えています。信仰に始まってそれに徳を加える、それは人格のことである。信仰と人格の教育と言うのは関わっています。 

 もし知識を求めるならば、信仰に始まって徳を加えて、そして知識を加えなさい。こういうことは公立学校にいっていては学べないことではないでしょうか。信仰は教えられません。キリスト教徒としての品性も教えられません。人間はサルから進化したものであると教えられます。親から訓練を受けるのではなくて、周りの仲間たちからの影響で成長していくのだ、と教えられます。

 一週間に一時間だけ時間を過ごせば子供たちを変えられる、と思ってはいけません。宝のあるところにあなた方の心もある、と言います。皆さんが時間を投資する場所に、皆さんの価値を置くものもあります。

 アメリカのホームスクールムーブメントの中で、こんなことが分かっています。大変美しい真理です。小さな男の子、女の子が、父親、母親とたくさんの時間を過ごすとき、子供たちの心は父親、母親のほうに向いてくるのです。

 これがリバイバルです。これが神様の偉大な働きです。それゆえ、ホームスクーリングムーブメントが今日のアメリカのリバイバルのしるしであると私は信じます。

 ある人は、結果は保証されているのか、と訊きます。神様の恵みによって、我々は報われるに違いありません。それは神様の恵みであり、恵みであり、恵みであります。聖書は同時に、人が種を巻くならば、それを刈り取ることにもなる、といっています。もし両親が忠実に種をまいていくならば、どうしてその実を刈り取らないことがありましょうか。

 聖書の中には、2つのパターンが書かれています。忠実な者と、不忠実な者です。聖書の中には、信仰に忠実な両親が必ずしも良い両親ではない例がたくさんあります。素晴らしいクリスチャンで天国にも行けるんですけど、両親としての役目は果たさないで終わってしまうこともあり得ます。旧約聖書のレカブ人の中に一例が見られます。父親が命じたことを10代にわたって守った家族のことです。神様はこの家族を祝福しました、聖書はまた、エリの例を挙げています。エリは子供たちのしつけをきちんとしなかったので永遠に神様の裁きを受けました。

 

アブラハムの祝福とロトの悲しい結末

 

 しかし一番偉大な例は、アブラハムとロトの中に見られると思います。神様はわたしはアブラハムを知っている。彼は子供たちに私の教えを良く教えたので、彼を大いなる国民にしよう、と言われました。アブラハムが自分の子供たちをしっかり訓練していくというその忠実な姿勢は、彼が諸国民の父親となる、という約束と関係があります。

 そのコントラストが、ロトの悲しい話です。聖書には、ロトも正しい者であった、と書いてあります。いつか天国に行ったらロトに会えると思います。しかし、ロトの子供たち全員は天国にいないかもしれません。これは一つの家族が神様のために立ち上がる時、どんなに素晴らしいことが起きるか示したいための例です。

 アブラハムのこういう祈りを覚えていますか?主よ、もし10人の正しい者がいるならば、このソドムの町を救ってください。ロトの家族は何人いたと思いますか?聖書には、ロトと彼の妻がいたと書いてあります。2人です。そしてロトの息子たち、と書いてあります、複数形ですから少なくとも2人の息子がいたことになります。結婚した娘たち、複数形ですから娘たち2人とその婿たち2人がいます。それからソドムから出てくるときに2人の娘たちがついてきたことが書かれたいますから、ロトの家族には少なくとも10人はいたことになります。もしロトが、家族全部を神様を畏れるものに育てていれば、神様はソドムの町を滅ぼさなかったことになります。

 ロトは、だんだんソドムの町に近づいていって、その文化に慣れていったと聖書には書いてあります。ロトは町で行われているひどいことを見て心が痛みました。しかし何事もしなかったのです。

 イエス・キリストがロトに対して語ることがあったとしたら、「私を愛するならば、私の羊を養いなさい」と語ったでしょう。

 私たちは、私たちを囲んでいる文化に対して一日中批判の言葉を発することができるかもしれません。しかし何もしないなら意味がないでしょう。

 ロトの悲しい結末とは、次のようなものです。子供たちの多くはソドムに留まって神様の罰を受けました。彼の妻は後ろを向いてしまいました。2人の娘は不道徳を行いました。そして悲劇の結末として、ロトの家族に生まれた子供たちはモアブ人になり、エモリ人になりました。この2つの国民の中で行われた宗教は、子供を異国の神々に捧げる儀式を持っていました。

 

両親という資格

 

 皆さんに質問します、皆さんはアブラハムですか、ロトですか?神様は、私たちがアブラハムのようになれるように願っています。皆さんの中に、私は自分の子供たちにホームスクールなんて出来ない、そんな資格はない、と言われるでしょう。私だって博士じゃありません。アメリカの多くの両親が、同じことを考えたのです。しかし彼らは、ホームスクーリングの資格をもつことがわかったのです。両親という資格です。

 コリントの信徒への第一の手紙の中に、普通の父親と母親を用いて、神様がリバイバルを行ったことが書かれています。コリントの信徒への第一の手紙、第1章27節に書かれています。「ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました」まさに神様は、普通の父親母親を選んで、教育のある役人たちを戸惑わせました。

 神様は家庭教育のための必要な道具も方法も全て備えておられます。今晩ここに、ボブ・ジョーンズ・プレスのお二人を迎えていることも大きな特権です。この方々は20年以上にわたって、ホームスクーリングの両親たちに、テキストや材料を提供してきています。神様がこの方々を通して、アメリカにリバイバルを起こしてきました。驚くべきことは、このボブ・ジョーンズはアメリカで沢山起きている出版の働きの一つに過ぎないということです。日本でご両親の助けが花開くことを信じます。

 

ホームスクーリングの素晴らしい実績

 

 ホームスクーリングを始める前に、たくさんの質問があると思います。

 一つに、社会性はどうですか?社会性というのは、ホームスクーリングの最大の結実の一つであると言うことに気付くでしょう。それはグループにしっかり結がる、ということです。どのグループに、私の子供が関わってほしいか、ということです。逆らう子供たちのグループでしょうか?それとも、美徳を求める子供たちのグループでしょうか?面白いことには、ホームスクーリングで育った子供たちは、一番自分に自信があり、人生に対して楽な気持ちで生きている人たちに数えられています。その理由は、子供たちが実際の生活の中で学んでいくからです。

 家族の中の小さな兄弟たちが一番の友達であることを、信じることが出来ますか?子供たち自身が素晴らしい友達になっていくのです。子供たち同士だけの子供っぽい会話だけではなく、大人とどう語ったらよいかも、学び取っていきます。

 公立学校の子供はどうでしょうか?12歳の子供を考えてみましょう。聖書の中に、一人になった12歳の子供は愚かしいものであるという表現があります。一人の愚かしい子供を12人の愚かしい子供に混ぜたらどうなりますか?しかし、ホームスクールの環境の中ではこういうことはおこりません。これが、ホームスクーリングが最善の社会性を育てる環境であるという所以です。

 10年にわたって、何百人、何千人に、ホームスクーリングのことを話してきました。これは偶然のことではないと思いますが、スペリングのコンテストや、ディベートのコンテストでいつもトップになるのは、ホームスクーリングで育った子供たちです。いってみれば、ホームスクーリングは教育の方法の王者です。

 普通の教室で一日かかって教えることは、一対一で一時間で教えることに匹敵します。教育が一人一人にあった形で作られるからです。両親が自分の品性をもって子供の心に語りかける教育法だからです。家庭教育というのは、主が与えてくれた教育の素晴らしい手段です。

 何年か前は、多くの人が、家庭教育に対して心配を持っていました。法律的にも、チャレンジがありました。学校の先生方は、両親に出来るとは思っていませんでした。今日では、ホームスクーリングはアメリカのどこでも合法的です。そして、ホームスクーリングの方がすぐれた教育の方針であると一般に認められています。理解しない人でさえ、この統計結果に異論をはさむことは出来ません。アメリカでは義務教育以降の学校のうちで学業成績のトップ10%の学生は、ホームスクーリングの学生です。

 

ホームスクーリング・勝利のビジョン

 

 ホームスクーリングを肯定する沢山の素晴らしい理由があります。学術的に素晴らしいし、社会性も育つし、ライフスタイルに柔軟性も持たせられるし、公立学校の危険性から守ることも出来ます。本当の最も大切な理由はイエス・キリストのために家族というものを取り戻せる、ということです。

 ホームスクーリングの勝利のヴィジョンは、家族に心を向けることにあります。妻と夫は、神様の栄光をもたらすために真っ先にすべきことは子供たちを立て上げることだ、ということを実現させなければいけません。

 マラキ書の中に父親と母親を用いて、神様にふさわしい子供を送り出す、という表現があります。夫の皆様、奥様に向かってください。奥様は神様があなたに賜った素晴らしい助け手です。あなた方は奥様と一緒になすべき特別でかつ大変貴重な使命を担っています。それは次の世代を神様のための兵士に立て上げる事です。私の息子は、私にとって非常に大切です。彼の顔を見るとき、将来の希望が湧いてきます。ただ職業を持って、学位を取り、経済的に成功する人間を見ているのではありません。 

 わたしが彼の中に見ているのは、イエス・キリストの教会です。次の世代の神様のための兵士のイメージです。わたしの家族の多くの世代にわたる希望が見えてくるのです。

 兄弟姉妹の皆さん、子供たちを愛そうではありませんか!アメリカでも日本でも、子供をたくさん持つことはあまり一般的ではありません。しかし神様は、子供たちは祝福である、とおっしゃっています。ホームスクーリングの勝利のヴィジョンは神様の栄光のために子供たちの傍らを歩む、というヴィジョンです。

 

家庭教育の柔軟性

 

最後に、一つのお話をしたいとおもいます。家庭教育の柔軟性、ということのすばらしさについてお話をしようと思います。何年か前に息子と少しもめました。

 息子は自分の部屋を掃除することがなかなかできなかったのです。「どうしてお部屋の掃除をしないの?」「ごめんなさい、お父さん」一時間後、「きれいになった?」「ごめんなさい」「この問題ちょっと解決しなくてはいけないね、息子よ。明日、動物園に行くぞ」息子は言いました「え、僕悪い事をしたのに動物園に行けるの」「明日は、動物園でホームスクールをしよう、ナマケモノの生活を一緒に観察するよ」次の日に動物園に行き、ナマケモノのところに行きました。「すごい、ナマケモノだ」「息子よ、このナマケモノがこっちからあっちへ行くのをずっと観察するよ」「わー、すごいすごい」15分後、「ナマケモノあんまり好きじゃないよ」「ほんとにいらいらするだろ」また15分たちました、「どこへ行くの!」「分からないよ、ナマケモノは怠け者だよ」30分後、「もう動物園行きたくない!」「ナマケモノっていらいらするだろ」最後にとうとうナマケモノは動き、そこでほっとして家に戻りました。

 その晩バーベキューをし、煙がいっぱい出ました。私の目に煙が入ってきて涙が出てきました。息子はすごくやさしい心の持ち主ですから、「なんで泣いてるの」「煙で目が痛いんだよ」そして夕食の時間になりました。「今晩ね、特別なデザートがあるんだよ」「わあ!特別なデザートって何だろう」「酢」「酢ってなあに」「今に分かるよ」妻がスプーンに一杯の酢を取って、息子に与えました。「んぐんぐ・・・」「今晩のホームスクーリングの時間だよ。今日学んだ事を振り返ってみようか。聖書の御言葉から始めようね」箴言を開きました。「ナマケモノは、目に入る煙のようであり、歯に付く酢のようである」テーブルは沈黙で満たされました。祈りをして、テーブルを解散しました。5分後に息子が走りこんできて、「お父さん僕ナマケモノだね、ごめんね!」そうやって大切な和解の時を持ちました。

 

 神様の栄光のために

 

 一日中息子とともに歩み、息子の心に届くには、時間がかかります。神様が息子の心を私に向けさせてくれ、わたしが息子とともに過ごした時間は、私の心を息子に向けました。

 神様は同じことを皆さんにもしたいと願っています。神様に向かって、より大きな心を子供に向ける事が出来るように助けてください、という祈りをして下さい。いろいろな恐れがあります。たくさんの未回答の答えがあります。しかし神様の御国を求めるとき全ての答えが与えられるでしょう。神様がアメリカの200万人のホームスクーラーに答えてきたものを皆さんにも答えてくれます。私は、これは簡単な人生だとは思いません。非常に難しい事です。しかし、クリスチャンに他にどのような人生があるでしょう。クリスチャンの人生というのは、主のために耐え忍ぶ人生ではないでしょうか。それは狭い径を往くことです。日本における少数派である皆さんにはよくお分かりだと思います。この家庭教育を、神様の栄光のためになすことを肝に銘じてください。それは、イエス・キリストの兵士を立て上げることです。それは父の心を子供に向けさせる動きであり、子供の心を父に向けさせる動きなのです。■

 

ダグ・フィリップ(ファミリー・ビジョン代表、弁護士)

ユダヤ系アメリカ人で父はニクソン、レーガン政権下で閣僚を務める。幼いときからホームスクーリングで育ち、多くの時間をホワイトハウスで過ごす。弁護士として、ホームスクーリング法律擁護協会(HSLDA)で活躍。現在はファミリービジョン代表としてアメリカ各地のコンベンションで最もインパクトを与えているスピーカーの一人。五人の子供たちをホームスクーリング中。「チア・コンベンション2001」の基調講演者としてベル夫人と二人の子供たちと来日、好評を博した。

 

 

チア・にっぽん事務局
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