ホームスクールの恵み
宇佐神 則子

家と学校のギャップ
私たちが、ホームスクールを始めるきっかけになったのは、第一回目の「チャーチ&ホームスクーリングセミナー」に、主人が出席した事でした。
主人は、家に帰って来ると、瞳を輝かせて「自分の家でもホームスクールをしたい」と言い始めました。
主人は、クリスチャンホームで育ちましたが、家や教会での生活と、学校での生活のギャップに悩んでいた事があったので、子どもには、1つの価値観で教育したい、と言うのです。
私は、ホームスクールの事を全く知りませんでしたし、そんな事を急に言われても…と、とまどいばかり感じました。
経験のないこと
その時、長男の義実は幼稚園の年長で、私は次男を妊娠中でした。私は、子どもに勉強を教えた経験もないし、下の子を見ながら教える事など出来るのかなと思いました。それに、その頃義実の口ごたえに悩んでいて、ああ言えばこう言うというくり返しで、私もすぐに感情的になっていたので、自分に出来るという自信はありませんでした。私の心には不安ばかりで、確信もありませんでした。
でも聖書に「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」とあるので、私には確信はないけれどやりましょう、という事になりました。
家族がみんな、すぐそばに
何か新しい事を始める、という時は、何でも大変だと思うのですが、色々の方から心配しての事ですが、「社会性は身につくのか」、「お友達はどうするのか」、など聞かれたりして、その度に私の心は揺らいでいたのでした。その様な状態でのスタートでしたので、初めは大変でした。勉強が遅れない様にとか、証しにならない様な事はしてはいけないなどと、肩に力が入りすぎてしまいました。そのために、義実のした小さな事も気になって、必要以上に義実を責めたり、追いつめたりした事もありました。
1年目の秋には、「私にはもう出来ないから、実さん(主人)教えてよ」と、投げ出した時もありました。
主人は、仕事がとても忙しかったので、初めはほとんどノータッチでした。でも、主人の職場は教会の中にあり、義実も教会を借りて勉強しているので、昼食を一緒に食べたり、家族が、みんなすぐそばにいる、という安心感が与えられました。
「時が来ると実がなり」
そうこうしているうちに新年を迎え、みんなで詩編の1篇を読もう、という事になりました。そして、読んでいる時に、「その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」このみことばが私の心の中に飛び込んで来ました。この「時が来ると実がなり」の「実」から主人の名前がつけられたのですが、「その人」と主人が重なっていました。
それまで私は、心から喜んで主人に従っていませんでした。逆らう事もよくありましたし、従っている様でも、聖書にそう書いてあるから義務的にしているだけでした。
でも、このみことばによって、必ず、時が来ると実がなる事、決してその葉は枯れない事、そして、主が栄えさせて下さる事の約束が与えられ、ただ私は主人に従ってさえいればいいんだ、と今まで肩に力が入っていたのがすーっと抜けた様でした。主人も、この事をとても喜んでくれ、主人との関係もいっそう深まったように思います。またホームスクールに関しても、「主人に従っていけば大丈夫」と、私の中に確信が与えられました。
深まる家族の絆
2年目になると、主から頂いた確信と、1年間なんとかやって来られたから、これからもなんとかなる、という気持ちがあって、落ち着いて行きました。主人も、子どもとの関わりが増して行き、家族の絆が深まって行きました。そして、クリスチャンでない方からもホームスクールの事を聞かれたり、好意的に見てくれたりして、ホームスクールを通して証しの機会も増えました。
また、ホームスクーラー同志の交わりも与えられ、親同志だけでなく、子どもたちのつながりも出来始めている事は、とても感謝です。
それから、去年の12月から、韓国から来ている青年が手伝って下さり、ピアノと韓国語を教えてくれています。その他に色々な面で助けられていて、本当に主の恵みと感謝しています。
今年で3年目になりますが、益々ホームスクールに対する確信と、思いは強くなって行きます。4月には稲葉氏をお迎えして、私たちの教会でチャーチ&ホームスクールセミナーをする事が出来ました。そして、教会の方々にも、さらにこの働きを知ってもらえる機会となりました。
何が一番大切なのか
この様にして、初めは確信もなく始めた私ですが、1年1年、一歩ずつ歩ませて頂いています。この1年も、主がどの様に導いて下さるのかとても楽しみです。
子どものために、と言って始めたホームスクールでしたが、ホームスクールを通して、主人との関係も、子どもとの関係も見つめ直す事が出来ました。
そして、何よりも、主との関係、何が一番大切なのか、という信仰の原点に立ち帰らされた事が、私にとって大きな恵みでした。 ◇